宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

アリス・イン・ワンダーランド

徒然なるままに

  • 鳩山首相が沖縄を訪れた。「訪沖」と表現されるほどには、沖縄は日本国に包摂された外地である。
  • 他府県がすべて拒否するので、結局沖縄県内にアメリカ海兵隊の基地を造るというが、沖縄は他府県の人々より大いなる労力をかけて拒否の姿勢を示している。
  • 海兵隊は有事の際(紛争地域にいる)日本人救出のためにも役立つみたいなことを日本国の外相が発言していたが、見事にスルーされていた。
  • 鳩山首相を攻撃・口撃して、事態が好転するならそれも良しだが、問題は誰が首相になっても変わらない、変えることはできないと思われる「構造」にこそある。
  • その「構造」は見せかけであり、実態である。舞台に吊るされた紙でできた月は、月ではないが月である。登場人物たちは作者を探さない。
  • 「抑止力」という名の興行に、沖縄は生贄として捧げられている。このサクリファイスは紛争の抑止ではなく、紛争の可能性維持のためになされる。
  • 紛争で殺されるのは、紛争を指揮し発動する権力者ではなく、いつでも民草である。敵もまた敵として敵を恐れ敵に備える。敵とは誰だ。
  • 1997年、名護市民は住民投票で反対の意思決定を成し、以後12年余をかけて名護市に反対を言わしめた。あきらめないことから学ぶことは多い。
  • 民草は無力だが無力ではない。国家権力が有する暴力装置の力ではない力が民草にはある。目覚めるときを待つ力がある。

[E:sun]

5月5日、名護で暮らす子どもたちと美浜で映画を観た。かつて、その地で、右翼の諸君の街宣車と出遭ったことがある。あれから数年を経て、子どもたちも成長している。かつて、異形の街宣車を凝視していた子どものまなざしも変化する。沖縄をとりまく状況はまったく変化していないのだろうか。変わらないものと、変わったものを丁寧に腑分けし、明日を切り拓くための力と道をそこから手繰り寄せよう。未来は訪れるのではない、創り出していくのだ。子どもたちと共に過ごし、私がすべきことを思う。

[E:cloud]

5.15にも鳩山首相は沖縄を訪れるつもりらしい。沖縄の本土復帰から満38年になるその日に、再び来県する厚顔さにうんざりするが、どんな茶番を演じてくれるのやらである。

子どもたちと観た映画は、アリス・イン・ワンダーランド。3Dの映像を子どもたちと満喫して楽しんだ。映画館を出たら、そこは我々が生きる「現実」という名のワンダーランドであった。

[E:mist]

  • 政治的には冷静に「抑止力」の議論を深めなければならない。統治権力の側が、こんなにもグダグダなのを放置しているのは主権者の側にも問題がある。
  • 海兵隊は不可欠な抑止力ではないとする専門家の意見が一顧だにされないのは、「属国」の怠惰な思考停止である。
  • 鳩山政権はそこに嵌まり込んだ、もう抜け出ることは無いだろう。ポスト鳩山の問題は、ダレではなく、そこをどう問題にできるかできないかだろう。
  • 沖縄を捧げる「抑止力」という名の国家のパワーゲーム思考につきあう気は無いが、沖縄をそこから解き放つためのプロセスとして思考する必要がある。
  • 新基地など造れるはずはない。13年余をかけてもあきらめきれない日米両政府の未練がましさを、沖縄の民草の「あきらめない」の意志が凌駕している。
  • この勝負、沖縄では勝ちに行くために、それぞれがこれまでから学び、これからを思い、次の一手を考え始めている。私もまた。

[E:end]