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宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

デフラグメンテーション

書かなきゃ(考えなきゃ)いけないものがあるのだが、なにも手がつけられず時間だけが過ぎてゆく。現状について思っている断片だけ記しておく。

  • 問題は「移設」ではなく「返還」である。「移設」を問題にしているのは政府でありマスコミである。移設論で民衆は翻弄され分断されるが、とまれ、我々が問題にすべきは「返還」である。沖縄の基地問題の根幹にある土地問題は根深く層を成している。「普天間」は米軍が沖縄の民衆を収容所に隔離しているあいだに、土地を取り上げ作った基地である。問われるべきは「返還」以外にない。
  • 1995年、沖縄の自治体首長が「等しく負担を」と全国に向けて叫ぶ姿は構造を揺るがす強度であった。2010年、沖縄選出の国会議員が「等しく負担を」と移設先を探して全国を奔走する姿は構造を補完する強度である。「等しく負担を」というレトリックは日米安保に対する評価を留保しているが、前者は留保することで問題の根幹にある「海兵隊」の存在を異化するが、後者は「海兵隊」の存在をみえなくする。
  • 総選挙において結果を出し、首長選挙において結果を出し、県議会において全会一致の決議を成し、それ以上に民意の表出を求められるのはなぜか。求めているのはだれか。県民大会もいいが、県議会議員は全員、議会閉会中は国会前座り込みをしてくるべきである。それが税金で飯を食っている代表者たちの最大の仕事だろう。何度も県民大会を開催し集められる民衆の気持ちを考えれば、それぐらい前代未聞の政治行動を成すべきである。
  • シュワブ陸上なら米軍が事業主体でアセス短縮などと馬鹿げた説が、防衛副大臣によって国会答弁されている(タイムス4.13)。在日米軍JEGS(日本環境管理基準)など無いかの如くである。いずれにしてもかかる事態になれば、『沖縄論』における砂川かおり氏(沖縄国際大学)の研究成果と知見をはじめ、民衆の側に戦う知のストックはある。ましてや、名護市の条件付賛成をしていた諸団体や個人ですらが反対している。地域では総力をあげた反対闘争が起こるであろう。そんなことが実現可能だと考えているのは、永田町や霞ヶ関あたりでおしゃべりしている連中だけである。
  • 政府ができるのは、今年度で終わる沖縄振興計画のポスト沖振計を餌にした、飴と鞭のセオリーぐらいだろう。しかし、それもこの10年間でずいぶん色褪せた。シャブ中患者のごとき様態であった名護市ですらが、そこから脱しようと動き始めている。沖縄の自治体は苦しい中で、民衆の意思に後押しされ自律する方向を探し始めている。島袋純氏(琉球大学)が標榜する「新たなる民衆の連帯(ネットワーク)の再生」は希求され、創造され続ける。1999年に沖縄は留まり続けてはいない。
  • 海兵隊日米安全保障条約第六条に位置づけられた、アメリカ合衆国の「陸軍、空軍及び海軍」ですらない。在沖米軍には4軍調整官(海兵隊司令官が兼務)がおり、明らかに条約で位置づけられた3軍とは別の存在である。政府は「抑止力」のために海兵隊の駐留は必要と言っているが、まともに議論、検証された形跡は無い。専門家からも疑問視する意見が出始めている。

100128

  • 5月は来る。まちがいなく来る。相手が自社さ政権だろうと、自公政権だろうと、民社国政権だろうと、アウトソーシングできない地点で沖縄の民衆は踏ん張っている。これを踏み潰す民主主義は民主主義ではない。政党政治の根幹どころではない民主主義の根幹のところで、沖縄の民衆は踏ん張っている。国会における多数決の原理ではない、民主主義のもっとも深いところに沖縄は足をかけて堪えている。5月よ、来い。

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