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『沖縄論』(宮本憲一・川瀬光義編)について


  1月28日に、岩波書店より『沖縄論』(宮本憲一・川瀬光義編)が刊行されています。

 縁があって出版前のゲラ刷を読ませていただきました。三部構成で10章、10の論文から成る沖縄に関する研究論文集。4095円というのは高額で、ほんとうに本書を必要としている人々に流通しにくいのではないかと気になるのですが、図書館に入れてもらうなどして、より多くの人に読んでもらえたらと思います。

 もうひとつお知らせ。おそくなりましたが、1月18日に『沖縄論』の編著者である宮本憲一先生が中心となって「普天間基地移設についての日米両政府、及び日本国民に向けた声明」を行なっています。記者会見の様子が下記にアップされています。これもぜひ要チェック。

 

普天間基地移設計画についての声明・緊急記者会見(映像ネット)
普天間記者会見の全動画youtube

 

 

 宮本憲一・川瀬光義編の『沖縄論』は、第一部がこれまで、そして現在の日本国政府による対沖縄政策の批判と総括的評価。そしてあるべき方向性へのビジョンの提起。第二部が提起されたビジョンにも密接に関わる鍵としての環境問題。第三部で経済政策等を含めて喫緊の課題を整理し新たな視座を展望するという構成。

 第一部は三つの論文が収められている。日本政府の「沖縄差別」政策を糾弾し新たなビジョンを提起する本書の基調となる宮本憲一論文。財政的見地からこの10年余の沖縄・名護(へ)の政策を詳細に検証し的確に批判する川瀬光義論文。米軍再編を米国政治から解き明かし、日米関係の矛盾の「沖縄」封じ込めを批判する佐藤学論文。どれもが沖縄の現状を憂い、打開したいとする人間にとって必読。

 第二部は四つの論文が収められている。その中の、米国の基地と環境法に関する砂川かおり論文は、日米の相違と矛盾がわかりやすい。在日米軍基地の運用に関してJEGS(日米環境管理基準)があるなら、米軍は米国法に準じて厳しく対応すべきという指摘は正しく、現時点ではでたらめで恣意的な運用としかいえない。ジュゴン裁判も相まって、この観点からの事実の指摘は益々重要性を帯びる。(他に桜井国俊、林公則、真喜屋美樹の論文所収)

 第三部は三つの論文が収めらている。日本政府の基地維持政策のために依存体質を醸成されてきた厳しい沖縄の状況の中で、これまでの経緯と現在を俯瞰しつつ、社会的連帯の再生と市民自治を展望する島袋純論文は、沖縄の自治が直面している問題の所在を的確に指し示す。(他に高原一隆、富野暉一郎の論文所収)

 

 研究者による論文のアンソロジーだから、素人にはとっつきにくいところもあるが、こういう論考やビジョンを、批判の回路を、政策立案のテクノクラートや専門家にのみ専有させてはいけないと改めて思っている。

 名護市長選挙では新基地建設に反対する新市長が誕生したが、新市長は市長選挙の最中に「岸本前市長は基地を造るつもりはなかった」かのような発言を繰り返していた。故人の胸の内まで知る由はないが、新基地建設に伴う振興策や諸々で名護市政がモラルハザードの様相を呈していたのは否めない。それらを批判的に乗り越えて、自治/自律を取り戻すためにも、情緒的ではない具体的現実的な検証が必要だ。そういう点では、本書第3章に収められた川瀬光義の「基地維持財政政策の変貌と帰結」は避けて通れない。

 故岸本建男氏が名護市長時代に、私が名護市会議員として議会で指摘してきた「SACO交付金」による公民館建設事業などは、新基地建設との因果関係がないとはどこをどうみてもいえない性質の資金および事業であった。

 私たちの沖縄は、基地建設の賛成反対で「運動会」をしているのではなく、現実のなかで自治を成しているのである。現実を直視し、反省すべきを反省し改め、批判すべきを批判する自由な精神の活動なくして「市民自治」は成り立たない。

 ともあれ、現在でもまだ完全に費えてはいない、この10年余の日本政府の新基地建設の重圧は凄まじいものであった。そのコンティニュイティのなかで、名護市長選挙で新基地建設反対を明確にする新市長が誕生したのはひとつの歴史的事件でさえある。

 名護市長選挙の結果をポジティブなこれからの歩みにしていくためにも、『沖縄論』が提起するビジョンと批判は有意義である。

 私は『沖縄論」に宮本憲一先生の怒りと叫びが刻まれていると思った。その怒りの矛先は日本という国民国家に、「自虐の論理」を唱える沖縄に、おそらくは自らへも。宮本先生の抑制の効いた筆致の向こうから立ち上がってくる、迫力に私は圧倒される。それが一読後の素直な感想。