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宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

スケアクロウ

 先月の「名護会議」以来だが、所用を済ませるため名護に行ってきた。市会議員時代の戦友である先輩たちにもあって旧交を温めた。酒が入って、友人や気心の知れた後輩に噛み付いて嫌な思いもさせた。私のなかに餓鬼がいる。風邪が酷くなった。
 
 久しぶりの名護は、市長選を前にして辻々に候補者の名が書かれた「のぼり」が立っていた。無人の交差点で雨に打たれているそれらは、まるで寂しいスケアクロウのようにみえた。寂しさは私のものだろう。

 現職市長の島袋陣営は従来の振興策や実績等を訴える保守現職の「鉄板」選挙。政権交代辺野古移設の見直しなど厳しい状況のなか、「基地には触れないというのが大方針」(毎日2009年12月24日)を貫徹し手堅く票固めをしているんだろう。

 1月8日には地元二紙(新報タイムス)に両候補のクロス討論も掲載されたが、いまいちだった。稲嶺候補の現市政「副市長制批判」は誰もが知っている氏の経歴を考えればオウンゴールであり、「現状認識が甘い」という指摘は上から目線にとられる危険行為である。クロス討論をみる限り、稲嶺勝利を願う私は不安を禁じえない。

 市民投票の結果を受けて比嘉鉄也市長が辞職したことで行なわれた1998年の市長選挙でこそ16,253対15,103と千票強の接戦だったが、2002年には11,148対20,356と大差をつけて岸本建男氏再選。「革新」のエースである県議、市民投票時の代表である「市民派」と相次ぎ敗北し、2006年には米軍再編で軍民共用空港案が見直されるなか基地建設反対に転じたベテランの「保守」市議を担ぐが「我こそは革新」という候補者と三つ巴になり、岸本氏後継である島袋氏が当選する。(グラフ参照)

Sityousen

 今回の市長選挙は、「外的状況は稲嶺陣営に追い風である」という話を選挙に関係している人々から聞かされる。昨年8月に政権交代の「風」は確かに吹いたが、その風は今でも名護で吹き続け、稲嶺陣営に吹いているのだろうか。そうであってくれればいいが、私にはわからない。国政選挙と首長や議員選挙における投票行動は違う。1997年には「市民」などとゲゼルシャフトのごとき概念を振りかざしたが、選挙はゲマインシャフトのきつい現実を教えてくれる。(グラフ参照)

Kokuseinado

(○=自公、☆=反自公共闘、△=民主、▽=社民。09年の民主(玉城デニー)には共産党支持層の票も入っていると思われる)

[E:pencil]

 市長選挙に関して、あらためて思っていることを二つだけ記しておく。

 外部から一番関心の高い基地建設問題について、稲嶺氏の現在の姿勢がぶれているとは思わないが、当初の「辺野古合意案見直し」から現在の「新たな基地はいらない」には明らかに違いが、飛躍がある。残念ながら私は、その変化について稲嶺氏が自身の「信念」に基づき納得できる説明をしたということを寡聞にして知らない。「考えは同じだ」ぐらいの発言をどこかでみたような気がするが、そんな説明でだれが納得できるだろう。現職陣営が「基地には触れない」と争点化を回避しているときに、基地問題への候補者の言及に力強さがなければ、メディアや陣営が大声で発信しても争点としては自ずと後景に退くだろう。

 もうひとつは、ここ(なごなぐ雑記2009年12月28日)でも言及したが「岸本建男なら拒否していただろう」とか、「真の後継者」争いとかはほんとうに馬鹿げているのでやめたほうがいい。というよりやめてほしい。私は市議会で、岸本前市長と精一杯戦った。前市長の受入条件のひとつである「軍民共用空港」より那覇空港を拡充すべきだとか、「基地使用協定」など地位協定3条管理権が米側にあるかぎり画餅だという私の指摘に市長は無視を決め込んでいたが、2005年時点では自ら「那覇空港拡充が重要」「地位協定3条管理権が壁」などと発言している(新報2005年9月27日)。それでも受入れ撤回はなされなかった。「高いハードル」は突きつけたが、そのハードルは市民との約束(受入れ撤回)のために生かされる事はなく、政府との交渉を有利に運ぶためにのみ機能した。引退後は「妥協するな」と言い残したと言われるが、2005年、日米の米軍再編協議が大詰めになる時点で東開発の仲泊氏が示した浅瀬案とか縮小案と呼ばれるプランは容認できると発言したのも事実。市議会で私の質問に「日本政府にシグナルを送らなければならない」と答弁している(前掲・新報参照)。日本政府が考えている(といわれていた)陸上案に対して、できるだけ海に出す計画案にさせるためのシグナルである。その後、日米両政府は2005年10月に沿岸案(L字)という一部埋め立てを伴うプランで合意。そのような状況下で前回の市長選挙において候補者のひとりである我喜屋氏は「名護市は検討しつくした、造れる場所はない」と明言したのである。しかしシグナルを送った岸本前市長の後継である島袋吉和氏が当選し、V字という馬鹿げた拡大案に修正し無条件「基本合意」した。その後、島袋市長が滑走路の沖合移動を要求し続けるのは浅瀬案/縮小案に限りなく近づけ埋め立て拡大を成すためであり、2005年時点の市議会における岸本前市長の姿勢の延長線に位置する行為である。岸本建男前市長の基地問題における後継は、岸本前市長のような政府に突き付ける条件こそないが明らかに島袋吉和氏である。1999年の条件付受入れの岸本建男前市長が、どこでどう変わっていったのか、変わっていないのかはまた別の問題である。つまらん浪花節で公的領域における記録を無視するのは故人に対して失礼である。

 基地問題への姿勢の根幹にある信念。そして過去の事実をすべて消し去る浪花節の後継者論。その二つだけは、私は気になるし、決して瑣事ではないと思っている。

 1月24日、だれが当選しても、これは市長選挙であり基地建設問題に対する住民投票ではない。

1997 13年の長きに渡って、争わされ続けている名護市民。日本政府および国民マジョリティは踏み絵を踏ませ、その結果があるからと名護市に基地を押し付ける行為をしてはならない。それは「民主的行為」ではない。辺野古への新基地建設をしてはならない理由は、環境や人権や沖縄の歴史や諸々からもうすでに出尽くしている。それを踏みにじる正当性は市長選の結果からは導き出せない。

 ふりかえると、市民投票の結果だけが、スケアクロウのように時間のなかで立っている。私がみつめているのか、私たちがみつめられているのか。

[E:end]

【追記】22:30

デスクトップにひとつグラフが余っていた。参考までに置いておく。名護市長選挙は、投票率が下がる傾向が続いている。(1997年は市民投票の投票率

Touhyouritu