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宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

誘致派の誕生(3―2)

 「逆格差論」から180度転換する比嘉鉄也市政は、1997年に比嘉氏が市民投票の結果とは真逆の表明を行いセルフリコールするまで三期11年間続いた。

 この間に、計画された開発事業第三セクター方式で始まった三共リゾート開発をはじめ、名護湾を活用したウォーターフロント構想など計画策定に大金の税金が注ぎ込まれたが、そのすべてが事業化されず消えた。

 唯一、比嘉市政において成立した事業は「名桜大学」の創設であり、継続している事業はずさんな経営体質の問題を抱えたネオパークぐらいであった。

Simg_1134  名護市の企画部長であった岸本建男氏は名桜大学創設の立役者であり、その功労をもって比嘉鉄也市長が彼を助役にしたのが1994年である。

 名桜大学の創設資金は名護市の財政力では到底調達不可能だったが、岸本建男氏は1992年に制定されたばかりの「地方拠点都市整備法」を活用し、名護市の財政力以上の有利な借金をすることで資金調達を図った。

 開学したはいいが、名桜大学設立に充てた借金の返済、ネオパーク等の杜撰な三セク経営の重荷、90年代半ばには比嘉鉄也市政は完全に行き詰まっていた。

 1996年、普天間代替施設として名護市が取り沙汰されたとき、比嘉鉄也市長は「北部は基地の捨て場ではない」と二度も断固反対の市民総決起大会を開催した。しかし、1997年に入り、当時の県知事である大田昌秀氏が「一義的には市と国の問題である」と関与せずを原則的方針とするなか、徐々に容認姿勢に転じていく。

 そのような状況下で、有権者の過半を越える署名を添えて「市民投票」条例制定請求がなされた。市民が求めた条例原案は否決され、「条件付賛成」などの項目を入れて修正可決されたが、市民投票は政府の相当規模の介入にも関わらず、結果は反対多数となった。

 名護市の混乱は、その市民投票の結果を反故にし、比嘉鉄也市長が首相官邸で受入れ表明し、自ら市長職を辞任したことに端を発する。

 しかしながら、その後に続く首長選挙や市議会議員選挙では「条件付賛成派」が多数を占める状況で今日まで推移してきた。

 1999年に岸本建男前市長が条件付受入れをした後に、名護市に投下された振興予算の充填先をみると、特殊名護市の状況がよくわかる。

 「基地所在市町村活性化特別事業」(島田懇談会事業)では、不良債権処理ともいえるネオパークの土地購入費まで国費で賄い施設整備を図った。開学したばかりの名桜大学の施設整備の大部分もこの事業を活用して行なわれた。さらに防衛施設周辺の各種事業メニューを活用し名護市東海岸地域を中心に「公民館」建設が相次ぐ。鳴り物入りで行なわれた「北部振興事業」では、岸本建男市長が熱心に取り組んだ「金融特区」関連の施設整備がなされた。

 信じられないことに、市長を自ら辞め市政を混乱させた比嘉鉄也氏が名桜大学の理事長に収まり、三セクであったネオパークは島田懇談会事業導入を期に増資し杜撰な経営を指摘され続けていた比嘉鉄也氏の子飼いのような専務が社長に就任している。

 これらのことから見えてくることは、比嘉市政のツケを払うことに島田懇談会事業が活用され、地域住民への宣撫工作に防衛事業が活用され、ものになるかわからない「金融特区事業に北部振興事業が活用されたということである。名護市では振興策に400億円以上の資金が投下されても、結果は失業率12%と県内1位で推移し、比較的大手の土木建設業者の倒産が相次ぐ状況である。明らかに公共政策の失敗である。1986年に「逆格差論」を破棄し大型開発公共事業を志向した市政の失策を、新基地建設に伴う振興策で糊塗しようとする無理がもっとも酷い形で表れている。

 1998年から2期続いた岸本市政においては、新基地建設は「条件付受入れ」であったが、2006年に岸本市政を次ぎ、誰もが唖然としたV字案で政府と合意した島袋吉和名護市長には受入条件すらなくなっている。

 民主党政権になり、普天間辺野古移設が見直される中で、新基地建設に反対する人々が指摘し続けてきた「環境問題」や「県内移設」の問題が改めてクローズアップされている。辺野古移設は現実問題として死に体である。にも関わらず、それに固執し続ける人々は、押し付けられた基地を受入れる犠牲者ではなく、基地建設を欲する「誘致派」と呼ぶべきである。これは政治的な保守革新のイデオロギーの問題ですらなくなっている。どんなに言葉を言い繕っても、岸本建男前市長が7つの条件を付して受入れ表明した1999年と今日では明らかに外的状況が違う。それは市民投票以来、基地建設に反対し続けた民衆がつかみ出した地平である。

 新基地建設に翻弄され疲弊しきった名護市ではいま、まちづくりの原点に立ち返り「自治」を立て直すことこそが求められている。

(つづく)

[E:soon]

風邪気味で熱っぽく鼻水まで出てきやがる。次回、「逆格差論」から保守市政になっても死ななかった「自治」の精神を素描して、このメモを終える。