お知らせ:26日はシュワブ前でピースキャンドル
あさって、26日に名護市辺野古/キャンプシュワブの前でピースキャンドルが行なわれます。友人から素敵なチラシの画像が送られてきました。
新聞紙面でも紹介されているので、詳しくは下記をごらんください。
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「基地反対」思いともして シュワブ前ゲートピースキャンドル
琉球新報2009年12月21日
【追記】
このエントリーとは別に書かなければならない話題だが、なんだかその気になれないので、ここに追記しておく。下記は名護市長選挙に関する新聞記事へのリンク。
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名護市長選まで1か月 「普天間」対決新局面
(2009年12月24日 読売新聞)
上記の記事のなかで、現職市長で市長選予定候補者である島袋吉和氏の後援会会長・荻堂氏が発言している。
もっとも、首相の言葉を額面通り受け止めているわけでもない。荻堂氏は「また辺野古に帰ってくるのでは。その時は、今よりもっといろんなことをお願いするつもりだ」と話す。
なんという正直な方々。
私は、新聞報道や複数の新聞社の取材記者のお話から、名護市長選挙の情勢についてとても危機感を持っている。前回のエントリでも書いたが、「先送り」という政府方針の曖昧さへの憤りや批判を、両候補者が異質とはいえ共有することで、争点そのものがぶれて見えづらくなっているのではないだろうか。
2006年の島袋吉和市長の公約違反ともいえる「合意」をこそ問うべきである。
もうひとりの予定候補者、稲嶺進氏を支持する人々には、前市長で故人である岸本建男氏を支持していた人々も多い。岸本建男前市長が基地を造らせるつもりはなかったなどと、私は微塵も思わない。私は友人としても尊敬する先輩としても、死者が語らなかったことを忖度する気はない。私だけが聞いた言葉は墓場まで持っていくつもりである。建男さんが「苦渋の選択」という言葉を嫌ったように、彼は自らの信念とプライドをかけて基地建設を条件付で受入れた。
その条件が、政府により踏みにじられ遺棄された後に、彼が発した言葉は「妥協するな」であったはずだ。
その遺言ともいうべき言葉を、V字案合意で裏切り名護を政府に売った男が現職市長である島袋吉和ではなかったか。
上記の新聞記事で、荻堂氏はこうも発言している。
後援会の荻堂(おぎどう)盛秀会長は「3度の市長選で移設容認派が勝った。移設の是非はもう終わった話。自ら積極的に取り上げることはない」と話す。
建男さんを移設反対派にする必要はない。しかし、建男さんのやった7つの条件付受入れと島袋市長の行なった受入れは全然違う。それを知っているから、一生懸命、移設の是非はもう終わった話にしたいのが現職陣営。残念ながら、その点でがっちりと噛み合った議論がなされているとは言い難い状況のようだ。
市議会の議事録には間違いなく残っている。前市長のように市民に受入れ撤回をも約束する条件はあるのかと執拗に問う私に、同じ答弁を繰り返すしかない島袋吉和名護市長の記録が。
3度目と今回の市長選に、強力な切断の線を引くこと。
そうして、岸本建男前市長の政治手腕と信念を信じて条件付賛成していた人々と断固反対していた人々が、大きな塊となって日米両政府に対峙すること。選挙だからといって、急に反対派や条件付賛成派のどちらか一方になる必要はない。お互いの違いを認め合って、大同で大道を行くべき。島袋吉和氏の陣営は条件付賛成派なんかではない、利権まみれの基地誘致派である。
言うは易しなのだろう。名護市を離れて暮らす者としては、黙っていたほうがいいのだろうとも思う。であるから、エントリとして立てる気になれないでいたが、書いてしまったのでアップするが、…この追記部分は削除するかもしれない。
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