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宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

怒髪天を突く-市民的不服従有理

2009/11/30 15:25、テルヤ寛徳衆院議員が自身のブログに書く(容易ならざる事態の進行)。

「12月7日にも政府方針が決定される、との情報を得た」

本日の新聞報道等をみるとテルヤ寛徳議員は、社民党の党首選に名前があがったり、様々な動きをなされているが、それもこれも「辺野古移設」という最悪の決定をさせないための「政治」なのだろう。テルヤ寛徳議員には最後まで奮闘して欲しい。

この情報に接してから、私も精一杯情報収集につとめたが、結果的に来週か再来週にでも鳩山首相が「辺野古移設」で決するという感触しか得られなかった。社民党の党首選がどうなろうと、最終的な結論を覆すことは至難の技なのだろうと思う。

民主党のデタラメさには、ほとほと呆れ返り、怒髪天を突く思いである。総選挙で当選した沖縄選出の民主党議員は全員離党(民主党県連も民主党を離脱)し「沖縄民主党」を結党し、社民党国民新党は連立離脱し県民に懺悔した上で、全議員は政府に対する沖縄県民の抵抗の最前線に立つべきである。それぐらいの歴史的な転換点に我々は立っている。

[E:impact]

【市民的不服従有理】

◆施政権が米国から日本国に返還されるとき、沖縄は「基地の撤去を求めた」が、その願いは聞き入れられず、沖縄復帰に関する事柄は衆院強行採決された。
 
◆老朽化した「普天間基地」を返還するのに県内に「代替基地」を造ることを日米は1996年に合意した。
 
◆1997年に代替基地建設の候補地となった名護市有権者は、法律に則り条例制定を求め「市民投票」を行った。結果、過半数以上の有権者が基地建設に「反対」した。
 
◆1999年に沖縄県知事・名護市長は「軍民共用」「15年使用期限」の条件付で代替基地建設を受入れた。市民は猛反発し、粘り強く反対し続けた。
 
◆2006年に日米両政府は、沖縄側が付した条件をすべて廃棄し、新たに拡大した「代替基地建設」計画を合意した。当然、市民は猛反発した。
 
◆2009年に日本国では政権交代がなされた。沖縄も全選挙区で新しい連立政権の与党議員を選出した。連立政権は「代替基地建設」計画を見直すことを事実上公約していた。
 
◆ここにきて、連立政権が前政権が日米合意した「代替基地建設」計画どおり決定するのであれば、沖縄は相応の覚悟を持って立ち上がらざる得ない。
 
◆沖縄は日本国において絶対的少数者である。復帰時の建議書に書かれた願いも一顧だにされず、軍事植民地的状況が1945年の地獄の沖縄戦終結以来続いている。市民的不服従をもって、政府やマジョリティの不当な行いである米軍基地建設を止めさせる正当な権利がある。
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上記は、日中一気に吐き出した私のメモである。1997年の名護市民投票において名護市有権者は、政府権力の地方自治への不当な干渉にも関わらず、それを撥ね退け「反対」の意思を明確にした。
その民意の結果があるから、故岸本建男名護市長も、稲嶺恵一沖縄県知事と共に、「軍民共用」「15年使用期限」の条件を付けてしか、受け入れできなかった。その沖縄側行政の首長の条件をなんの相談もなく廃棄し、拡大して日米合意したのが現在の「辺野古移設」でしかない。
それを受入れている仲井真沖縄県知事・島袋名護市長は、そのことに対して選挙の洗礼を受けてはいない。
つまり沖縄県民は、現在の「辺野古移設」計画を民主的な手続きを経て、是認したことは一度たりともない。
1972年の復帰で裏切られ、「駐留軍用地特措法」の二度の改悪で憲法が保障する財産権や平和的生存権や諸権利を踏みにじられ、そして日米の合意を受入れるためにつけたせめてもの条件すらいとも簡単に廃棄され、押し付けられる拡大した海兵隊の新基地建設を、沖縄は受入れることはできない。これは保守だ革新だ、右翼だ左翼だのイデオロギーの問題ですらない。沖縄(うちなんちゅ)の歴史と誇りと自決の問題だ。
沖縄を日米軍事植民地とする政府意思に対して、沖縄は怒髪天を突く怒りを胸に深く沈め眠らせず、徹底抵抗する「市民的不服従」の島となるだろう。
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[E:end]
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(しばらく宜野湾を離れ、ほんとうに久方ぶりに名護に行きます。大事な人々と会って、これからのことも含めて思案し相談してきます。今週は更新はできません。)
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