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宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

岡田外相は沖縄県民を恫喝するために来沖したのか?【追記あり】

先週、アメリカのオバマ大統領が来日した。「基本は守るべきだ」という言葉が出たらしい。いかなる「基本」なのか、デモクラシーであれば新基地建設について名護市は1997年に有権者による市民投票を行い、基地建設反対多数で決している。アメリカの基本的姿勢であれば「望まれないところに基地は置かない」という基本に沖縄の米軍基地は大いに反している。
普天間飛行場の問題に関してアメリカ側は「柔軟」などの見出しが新聞に載ったが、オバマ大統領の発言要旨からは、そのような姿勢は垣間見えない。先週末はゆっくりメディアに接することもできなかったが、感想めいたことを日記に記しておいた。→nagonaguの日記

[E:gawk]

岡田外相が駆け足で沖縄に来て、県知事や名護市長らと会って「本土」に帰っていった。今朝の新聞をみて、私は我と我が目を疑った。「県外を困難視」(新報09.11.16)しているのは嘉手納統合を検証しつぶしにかかっているこれまでの姿からわかっていた。しかし、アメリカが「県外可能」としているにもかかわらず、「日本側の政治的事情」で不可能のごとくされきた(新報09.11.15)のも、我々はわかっている。そういう状況下で、沖縄に来て、岡田外相は世論調査等で県民の大多数が「県外移設」を求めていることについて問われ、答えている。

091116okada

岡田外相はいう

沖縄県民よ、あなたたちが県内移設に反対した結果、グアム移転、基地の一部返還は頓挫するかもしれない。普天間の危険な状況は残るかもしれない。そこまで含めて、県内移設に反対しているのですか。

[E:coldsweats02]

これは、恫喝なんですか?
私は人間がトロイものだから、よくわからないんだけど、これって、責任転嫁じゃないんですか。一国の外務大臣が、戦後64年も他国の軍隊に蹂躙され続ける自国の地域の国民に、吐く言葉なんですか? 外相の仕事はなんだね? 外相の交渉相手はそんなに怖いか。外相は国家主権を放棄しているのか。

あまりにもひどい物言いだと思う。沖縄で生きていると、軍事植民地であることを思い知らされることばかりだが、この直截な物言いの無責任さ恥知らずさは、あまりにも沖縄に甘えすぎだと思う。日本国は主権を放棄して米国の領土になったほうがいい。

県外移設を一顧だにしない日本国政府の姿勢は、糾弾されてあまりうるものである。

1998年にカート・キャンベル米国防次官補代理(現国務次官補)が発した次の言葉(新報09.11.15)に、おそくはない、いまからでも日本国政府は、岡田外相は答えるべきだ。

事実は、日本政府が、沖縄以外で海兵隊のプレゼンスを支える基盤を米側に提供することが政治的に不可能だ、ということだろう。

《日米非公式協議の概要「普天間」移設関連部分(要旨)》より―1998年3月13日

[E:think]

ここから仕切りなおしたほうが早い。原理原則を持たない右往左往は、時間の無駄だ。

ああ、朝から、政治家の気持ち悪い開き直りをみせられて、腹立たしい。

[E:annoy]

【追記】16:00 少しクールダウンしたので、書いておく。

沖縄県民として、岡田外相の発言が内包する問いに答える試みをしてみる。

「県内移設」は、日本国の「政治的事情」だというのを、私たちは痛いほど知っている。県道104号線越えの訓練が分散移転した際に、海兵隊員の訓練地での外出は制限されもしくは監視付であったことも知っている。沖縄ではその海兵隊員は、あたりまえのように街中を闊歩し繁華街をうろつき歩いている。この取り扱いの違いはなんなのか。

「県内移設」は地政学上の問題で、沖縄の地理的優位性が喧伝されもしたが、それらは日本政府によって仮構されたリアリズムだということは、日米非公式協議(新報09.11.15)を読めば一目瞭然であり、私たちには踏み込む価値のない議論だ。

問題は、「政治的事情」である。

日本国に沖縄の施政権が返還される以前だが、米軍は現在問題になっているキャンプシュワブ/大浦湾に大規模な基地建設計画を有していた。それらは米国により、島民の反対に遭い統治政策そのものに影響する「政治的リスク」という理由でお蔵入りになっている。

これは日本国政府が意図してそうしたと私は考えないが、普天間移設と称して計画された現在の新基地には、お蔵入りになっていた軍港機能が付随し1996年のSACO合意よりも拡大したものになっている。

米軍の施政権下で「政治的リスク」として回避された計画が、日本国の施政権下の沖縄で蘇ってくる。この「政治的事情」を私たち沖縄県民はどのように考えたらいいのだろう。

1972年の施政権の返還から今日までの、異常な計算式で出される軍用地料や限りなく地方公共団体の自己資金ゼロで施される振興開発事業などは、沖縄の人間をして基地と共生させ「政治的リスク」を軽減するに必要な年月であり資金であったのだろう。

しかし、このような状況であっても、「県内移設」を認めることは、沖縄における老朽化した米軍基地のスクラップ&ビルドでしかなく、それは基地の固定化につながるということを懸念(見抜きといっていい)し、県民大多数は「県内移設」を是とすることはできないと考えているのである。

グアム移転も、一部返還もなしですよ、危険な普天間だってそのまま残りますよ、などというはしたない脅しに屈して、仕方ないとあきらめるわけにはいかない地平で、県民大多数は「県内移設」の問題をみている。

人は「誇り」や「精神」だけでは生きていけない。であるから、妥協もするし狡猾な知恵も発揮する。しかし、どうしてもゆずれない一線がある。「県内移設」に反対する民意は、その一線に引っ掛かっている。

必ずしも、民意のみを根拠に行われる政治行政がよいとは私個人は思わない。ときには民意とは違う結論を政治家が選択することがよい場合もあるだろう。小泉政権誕生の際の国民の熱狂や、貧しいものへの配慮を欠いた政策を支持するマジョリティの動向をみていると、私はそのように思う。

沖縄への「県内移設」問題は、この国の根幹に現在以上に沖縄への「差別」を深く埋め込む行為である。おそらく日本国民の大多数は、この問題について関心がなく、それでいて自らの地域に米海兵隊が駐留するなどといったら大反対するだろう。そのような「政治的事情」で、沖縄の「県内移設」が大前提となるような日米同盟は、まともな民主主義国家間の同盟たりうるだろうか。同盟の根幹に、これ以上「沖縄差別」を深く埋め込むことは、同盟を不安定にするだけであり、国家の権威や国民のunityを著しく損なう。

日本国政府は、沖縄県民の「県内移設」反対の民意を素直に受け取り、日本国の根幹にある過ちを取り除く努力をすべきである。「敗北を抱きしめて」きた日本国が、新しい世紀を歩みだすために変わらなければならないターニングポイントを、沖縄県民は10年以上もかけて指し示しているともいえる。それが「県内移設」反対という民意である。

岡田外相は、県民の民意に対して恫喝するのではなく、感謝すべきであった。

私はそのように思います。

 

 

[E:wink]

ぺしゃんこにされてもへこたれないぞ。

[E:end]