宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

市民投票と市長選挙と名護市で

新聞記事の中の住民や政治家の言葉、事実の一断面の記述、私たちは何気なく読んでいる。名護市長選挙に関する新聞記事のなかには、1997年の市民投票に関するおはなしがよく出てくる。

「市民は賛否に二分され、親きょうだいまでいがみ合う姿」
朝日2009年10月28日

なんだか、とても恐ろしい光景である。
実際に、わたしたちはみた。振興策で公共施設がバンバン建つと喧伝するおびただしい看板の群れを。基地交付金で使い放題の金が振ってくるというまことしやかなおしゃべりを。人の良いおっちゃんぜんとした人々の釣り上がった目と大きく開かれた口を。
それらは、主権者が自ら選択し決するまでのリスクであり「民主主義」のコストであった。
市民投票を経て、役所がみんなで決めたことに従えば、それで終わりだった。私が、市会議員になることもなかった。

来年の市長選挙に関する記事の中で、まるでこの選挙が基地問題をめぐる「市民投票」のごとく語られるのもあるが、市民投票は1997年に行われ、この問題における名護市民の政策決定は済んでいる。あとはあきらめきれない政府と、その政府と交渉し行政を進めていこうとする名護市役所があるだけである。このレベルに、今日の問題がある。

[E:sun]

1997年の名護市民投票の結果が出て、当時の市長が基地受け入れ表明し自らをセルフリコールするという前代未聞の無責任な所業をやってのけた。その後、イレギュラーな市長選挙が行われる。

1998年の市長選挙では玉城義和県議が、革新のエースとして出馬するが、僅差で元市長の後継である岸本建男氏に惜敗する。2002年には、市民投票時の推進協/反対協の共同代表で市議になっていた私が出馬し建男氏に惨敗する。2006年には、基地建設に条件付で賛成していたが、検討結果造る場所はどこにもないと基地建設に反対した保守の重鎮市議・我喜屋宗弘氏を革新共闘統一プラス反自公派で擁立するが、建男氏の後継と共産党を除名になった市議と三つ巴になって惜敗することになった。

政党の思惑は私にはわからないが、私は市民投票の結果に役所を従わせたいがためだけに、市議として活動し、過去三回の市長選挙に主体的積極的に関わってきた。

過去三回の選挙とも、私的には保革の枠組みにこだわるのではなく、新基地建設に反対する市政を作り出すという一点だけは譲らずに、市民に信を問うてきた。

今般の市長選挙では、革新共闘統一候補がいないことをして、革新分裂などという見方をして四年前と似ていると断じる新聞報道もあるが、明らかに間違いである。

四年前の市長選挙は、革新政党(社民・社大・共産)が統一して推薦する候補者に対して、政党支持も推薦もない元共産党市議が「我こそが革新だ」と分裂したのであって、今日の事態とはわけが違う。

過去三回と、今回の市長選挙が大きく違うのは、そんな革新政党の事情による分裂云々ではない。

どこかでちゃんと書かなければならないと思ってるので、きちんと思考し書く作業をするが、今回の市長選挙の構図がこれまでと大きく違うのは、新基地建設への明確な態度である。ひいては市民投票への評価である。

比嘉靖氏は、「市民投票で、基地建設に反対する市民の意思は明らかだ」と明確に発言している。現職市長には問う必要もないだろう。稲嶺進氏は、理念や政策の中からそれがみえてこない。

数日前に、名護市内で配布されている稲嶺ススム後援会の内部資料を入手した(後日、あらためてここで紹介します)。稲嶺氏が、『基本理念』で「市政の主役は市民です」というなら市民が政策的意思決定を行った、市民投票に従うのが道理であろうに、新基地建設に対する態度は、政策の「7.辺野古合意案を見直し 県外移設を求める」のなかで、「新政府の新たな動向も踏まえ、市民の声に耳を傾けて真摯に対応していきたい」である。(ここでは、「従来からの」認識とか基本姿勢が述べられているが、「従来」とはなんだ。岸本市政からの「従来」?これについては改めて言及する)

これのどこが、「辺野古に基地は造らさないという基本的な方針」(玉城義和県議)なのか、新政府の新たな動向は、「県外移設公約していない」(岡田外相)である。このような動向も踏まえ、市民の声に耳を傾けていってくださるのが、稲嶺進氏である。いまさら耳を傾けてくれなくても、市民は市民投票で意思を決している。それに従ってくださればいいだけだ。そうしないのはなぜなのか。

私は、新基地建設に反対する運動体の組織としての動向などには疎いので、よくわかっていないが、このような状況で、新基地建設に反対する民衆の勢力が、名護市の玉城義和県議や革新系市議の方々の動向に協調し、動くことはありうるのだろうか。

名護市の過去三回の選挙は、市民投票の民意実現のための戦いだった。私はこの10年近くを、このためにすべてをささげたといっていい。今日、こんな状態になるなどとは、夢にも思わなかった。

冒頭に戻るが、

「市民は賛否に二分され、親きょうだいまでいがみ合う姿」
朝日2009年10月28日

そのような事象としてのみ、市民投票が評価されていくことに、私は断固抗う。市民投票が切り開いた地平の価値を、その意味を、私たちはまだつかみあぐねている。それは反対派の道具ではなく、主権者の意思決定のステージだった。条件付賛成票だって、決してすくなくなかったのを私たちは知っている。この意思決定に従わないことで、起こる「混乱」が、名護市民を苦しめ続けている。

苦しいから、勝ちたい、勝たなければならないという気持ちはわかる。しかし、「混乱」の火種はそれで消えない。それはだれの勝利なんだ。少なくとも、あの市民投票で意思決定基地問題を終わらそうと願った市民のではなさそうだ。

[E:end]