宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

来年2月の名護市長選に現職の対抗候補

小沢氏の秘書逮捕から始まり、漆間巌官房副長官のとんでもない発言まで出てきて騒然としている。こうなってくると、推定無罪などお構いない人々の勝手なおしゃべりと思惑、リークされた検察情報による世論誘導、混沌とした状態がしばらく続く。
沖縄のみならず、日本国の現在と未来に関わる重要な「協定/条約」の審議が衆院で始まろうというのに、なんだかなぁという気がしてくる。

本日の琉球新報朝刊一面にこんな記事が出ていた。

[E:clip]
稲嶺前教育長出馬へ 名護市長選
琉球新報2009年3月10日(魚拓)

続きを読むで、少し記事内容と市長選についての雑感を書いておく。

まず、新報の記事全文を下記に引用。

[E:clip]
【名護】2010年2月の任期満了に伴う名護市長選挙で、前教育長の稲嶺進氏(63)は出馬の意思を9日までに固めた。琉球新報社の取材に対し「与野党含む市議団や多くの市民からの要請に応えて決めた。市民の目の高さでまちづくりに取り組みたい」と述べた。
現在具体的な政策作成と、後援会立ち上げに向けて関係者と調整している。正式表明の時期は未定。
基地問題への対応については「県外移設がベストとの気持ちだが、沖縄の置かれた現状も無視できない」と述べるにとどめた。

稲嶺氏は1945年7月17日生まれ。琉球大卒。72年名護市役所入り。総務部長、収入役を経て、04年から08年まで教育長を務めた。名護市三原出身。

[E:pencil]

私は、97年の基地建設に係る是非を問うた市民投票の翌98年、私が候補者になった02年、基地建設反対の候補者が二人になり惜敗した06年の計三回の市長選挙に関わってきた。

個人的な概括だが、市民投票で基地建設反対が過半数を上回った後に、「革新」のエースといわれた社民党系の県議で破れ、政党色のない「市民派」として市民投票運動の代表だった私で破れ、「保守」で基地建設に賛成する立場だったが反自公で基地建設反対を明確にしたベテラン市会議員で破れ、基地建設を推進する自公勢力が勝利してきた。

来年の市長選挙の結果がどうなるかで、基地建設問題に関する地方公共団体としての名護市の意思(団体自治)と市民の意思(住民自治)は決せられるといっても過言ではない。

というのも、過去の市長選挙において、自公が推薦する候補(つまり当選した候補)は、基地建設問題については「これを凍結」(98年)、「条件付で容認」(02年)、「現行案には反対」(06年)としてきており、主張をあいまいにし争点化を避けてきた経緯がある。そうすることで当選して、政府と共に協議を進めて今日まできた。

今日の状況は、そのようなあいまい化のメッキが剥がれ(現行案には反対で当選して、その案と同じ場所でのV字案という二本滑走路で合意して、現在は埋め立て面積が拡大する沖合移動を主張しているだけであるのは、あまりにも痛ましいメッキの剥がれ方)、あいまい化することで獲得したはずの利益(振興策等)は、有権者が望んだような経済の活性化も振興も与えていない現状がある。

この12年で市長選挙における選択が出した答えは明確である。それでも、この路線を継続するのかが問われている。

[E:flair]

基地建設問題は政治的社会的(私は倫理的にもという)にとても重要なイシューだが、それは名護市民が反対しても、市長が反対しても政府は強行的に行なう可能性は否定できない(本気になって反対したら、政府が強行することは限りなく不可能に近いが)。そういう意味では、基地建設の問題は、市長選挙における判断の優先順位としては低い有権者もいるかもしれない。しかし「まちづくり」に関しては、政府や他の責任に帰することのできない名護市民の選択であり行為でしかない。

新聞社の取材に対して市民の目の高さでまちづくりに取り組みたいとする稲嶺進氏の発言は、とても大切な言葉だと思う。

私は名護市より北に位置する東村の「第三次東村総合計画」(1996年)策定をコンサルとしてお手伝いしたことがある。

基幹作目であるパイナップルの輸入自由化で、将来に希望がみえにくい状況でどんな「まちづくり」をしていくか、6つある集落で住民の方々の意見をヒアリングさせてもらったり、地元の方や役場の方と一緒に現地を何度も踏査した。そのなかで「農地開拓のために壊した自然を回復したい、せめて今ある自然を守りたい」そんな意見を大勢の方から聞いた。

ちょうど、私はその数年前から本島北部のエコ・ツーリズムの可能性についての調査等に関わっていたこともあり、住民の方が率先して始めていたエコ・ツーリズムの将来性と可能性に着目し、役場の担当者の方も積極的にその方向性を発案し支持し、総合計画の中で産業の将来像を「自然と共生しその恵みを活かす農業と漁業のある村であり、その恵みを求めて訪れる人々との豊かな交流がある社会」と位置付けた。それが、東村の住民の方々の中から私が抽出した将来像だった。

「第三次東村総合計画」の東村の十年間は、やんばる型の「ツーリズム」の先進成功事例となっている。

国の農業・経済産業政策に翻弄されながらも、地域は地域として人が生きられる場所であるために創意工夫してがんばっている。(そんな東村に対して、国は米軍のヘリパッドを造るための強行手段に出ている。どこまで、いつまで、沖縄は国策に翻弄され続けるのか、頭が痛いが、生きて踏ん張り続けるしかない。)

名護市民は、どんな将来像をイメージし、「まちづくり」に取り組んでいくだろう。

「第一次名護市総合計画」(1973年)についてはじめている調査研究のピッチをあげて、できるだけ速やかに人々に触れてもらえるようにしたい。

仕事や諸々の都合から、名護市を離れて暮らしているが、97年の市民投票の民意を実現するためのドアを開ける私の行為は続いている。

[E:catface]

92年から2007年まで名護市で暮らした私の体験から知ってる(感じる)稲嶺進氏は、とても優秀な市役所職員で、故岸本建男前市長が市役所の中で全幅の信頼を置いていた行政マンだった。仕事ができて(仕事に厳しく)、それでいて人付き合いもよく、ジョークで人と場を和ませるおおらかさも持ち合わせている。
ハングライダーやパラグライダーなどもするスポーツマン(遊び人ともいう ^^)でもある。
少し短気なところがあると思ったときもあるが、それは酒席で私がグダグダ噛み付いて稲嶺氏を怒らせたときだったので、必ずしも短気だというのは当たらない。[E:coldsweats01]

氏が無視できないという「沖縄の置かれた現状」をどのようにみているのか、これから政策や様々な事柄を明確にする中で語ってくれるだろう。

来年の名護市長選挙が、様々な政治的思惑を超えて、争点がしっかりとかみあい、有権者の意思がしっかりとしめせる環境/状況で行なわれることを祈る。(不在者投票の動員合戦や、争点ずらしのための画策などは、やるなと言ってもやるだろうが、それらが功を奏さないように何らかの手段はないものだろうか。)