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宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

もしかしたら、「切ない」とは、こういうことなのか。

来週から、「協定/条約」は衆院での審議が始まる。
小沢民主党代表の発言が波紋を広げ、どのように議論に影響を与えるのだろうか。沖縄における米軍基地の過重負担及び言語道断な新基地建設、常軌を逸したグアムでの米軍基地建設への日本国民の税金拠出など、様々な問題は取り残され根本のところで現状維持・追認にならないか不安。

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小沢発言の波紋(関連ニュース記事Google

今日は、協定に関する直接的な問題から離れて、沖縄・名護市のローカルなニュースについて、少し覚書を記しておく。なんかとってもアンニュイな気分で、今にも泣き出しそうな心持ちである。もしかしたら、「切ない」とは、こういうことなのかもしれない。がんばって書き残しておくべきことを吐き出しておく。

昨日の琉球新報の夕刊社会面に、名護市名桜大学に関する記事が出ていた。今朝は、同内容の記事が沖縄タイムス朝刊の一面に出ている。

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名桜大、公立移行を検討 授業料減、学生増狙う
琉球新報2009年2月26日(魚拓)
名桜大 2010年公立化/北部市町村が主体
沖縄タイムス2009年02月27日(魚拓)

  • 名桜大学は、公設民営で創設された私立大学。拙著『沖縄ラプソディ』でも触れたが、故岸本建男前市長が、名護市役所の企画部長として立ち上げに全力を投入したプロジェクトであった。その功績が認められ、建男さんは助役になった。(その直後に、基地建設の火の玉が降ってきて、市の広報等の仕事を請け負っていた私は、建男さんらと袂を分かち、市民投票運動の渦中に入り込んでいった)
  • 島田懇談会事業という、基地が所在する市町村の閉塞状況を緩和(乃至は打開)する名目で行なわれる特別の振興事業が、名護市キャンプ・シュワブが存するという理由以上に手厚く投入される。名護市役所はその事業制度を使い、名桜大学の施設整備のためにハコモノを多く造る。
  • 市会議員になっていた私は、有利な振興策で施設整備を図っても、維持経費等についても結局は市役所(ひいては市民負担)が名桜大学の面倒をみることになるのではないかと懸念し議論を重ねてきた。
  • 名桜大学には、市民投票の結果にも関わらず基地受入を表明した比嘉鉄也が理事長になっていた。彼に経営能力などあるはずなく、ますます振興策や国からの補助に頼る体質になることは懸念されていた。
  • 名桜大学内の「生涯学習センター」なるハコモノは、名護市事業主体になって造っているが、その事業採択について聞かされていなかった市長は烈火の如く怒っていたという。名桜大学理事長の比嘉鉄也氏が末松文信助役(現副市長)らを使い、進めていたのだ。
  • ハコモノを造った翌年度には、そのハコモノの活用についてのソフト事業を、今度は北部広域市町村圏事務組合を事業主体にして振興事業として採択させる。ハコを造ってあとに使い方を考えるというのも、本末転倒で恥ずかしい限りだが、事業主体や運営主体及びその中身については、名護市の腐敗した政治体制及び体質が伺える。
  • 国の制度を使い、施設整備を充実させて、経営体質を改善しまっとうに運営していくなら、財政に乏しい地方の私立大学の、そしてそれを支援しようという地方自治体の狡知として、私は特に目くじら立てようとは思わない。
  • しかし、今回のニュースに接すると、私が思っている以上に、比嘉鉄也なる人物及びその回りにいるブレーンたちは、公を食い物にしていく狡知しかない人物であり、大学及び地域の将来に対して創造的なビジョンなど持ちうる人物でないのがわかる。
  • 北部広域県市町村事務組合が経営主体になって、私立大学を運営していくということはどういうことだろう。北部12市町村にそのような財政的体力があるはずもない。比嘉鉄也なる人物を理事長に据えた時点で、今日の状況は予測できたはずだ。それを是正させることもできず、ズルズルとわかりきった出口に進んでいくのが辛い。
  • 現在の島袋吉和市長に、その根本問題を掌握し、どのように名桜大学に自律していってもらえるのかなど考える回路及び能力はない。比嘉鉄也理事長の意のままだろう。

沖縄タイムス朝刊より)
名桜大は一九九四年に県と北部十二市町村が設立した。比嘉理事長は「来年四月の移行を目指し全力でやる。北部市町村への協力を求めたい」と話した。
北部十二市町でつくる北部広域市町村圏事務組合の島袋吉和理事長(名護市長)も、「議論を進め広域圏としても協力していきたい」と前向きな姿勢を示した。

比嘉鉄也(元市長・現名桜大学理事長)を代表として、いわゆる名護市の保守勢力(基地の条件付受入派)は、選挙のたびに、名護市の活性化・振興を喧伝していた。そのシンボルのように旧中心市街地の十字路の活性化がいわれていた。

しかし、彼らが市政を担当して、十字路商店街の空き店舗率は悪くなる一方で、振興策で市役所の会計は膨れ上がっても、市井における市民生活は苦しくなる一方である。
私が地元で高校を卒業し、上京する頃にできた、商店街のアーケードも、解体された。

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北部初アーケード 感謝でお別れ/名護大通り会商店街
沖縄タイムス2009年02月25日(魚拓)

  • 私は十字路の近くで生まれた。
  • 新聞記事には同級生のオヤジさんの言葉もあった。
  • 同級生の彼がどこに住んでいるのかはわからないが、両親は彼が生まれた頃に始めた商店をたたみ、市街に住む彼のもとへ引っ越した。
  • その空き地で、アーケードのお別れ式典は行なわれたらしい。

なんで、こんなことになっていくのだろう。
なぜ、人々はこのような選択をするのだろう。名護市はこのままでは、交付金欲しさに原発の二号機三号機を欲する自治体になっていく。

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頭越し 新たな縛り グアム移転協定署名/賛否に揺れる地元
沖縄タイムス2009年02月17日(魚拓)

(上記沖縄タイムスの記事より)
 「普天間」の名護市辺野古移設を容認する同市商工会の荻堂盛秀会長は「どうせやるなら、早期の移設を求めたい」と協定を冷静に受け止めた。「基地負担が北部に集約されることに『なぜ』という怒りはある」とする一方、
「(反対派が)長年、基地反対を訴えてもそうはならなかった。住宅地よりは安全な名護の沖合にというのがわれわれの考えだ」と話した。

  • この人物が語っていること、及びそのような語りが出る精神の状況を想像しよう。
  • この語りを糾弾するだけでは済まない、構造的な問題にも冷静に思考を届かせよう。
  • 「『なぜ』という怒りがある」のなら、どうしてそれを引っ込めて、造るほうに加担しているのか想像してみよう。
  • 「基地反対を訴えてもそうはならなかった」のは、この発言をする人物(たち)が造るほうに加担しているからだという単純な真理を、なぜに発言者は気付かないふりしていられるのだろう。

基地建設そのものは、日米両政府が決めて、沖縄に名護に押し付けたものであり、それを様々な事情で受け入れざるえないとする判断を、日米両政府に対峙し批判するのと同じレベルで批判するわけにはいかないだろう。その点においては、名護市民にはあまりにも大きな問題が突きつけられており、たいへんだというのは理解できる。

しかし、名護市という地域をどのような地域にしていくのかという「まちづくり」に関しては、名護市民の選択でしかない。そこには同情に値するレベルはない。

(上記沖縄タイムスの記事より)
島袋吉和名護市長は「(日本政府との)基本合意に基づいて、協議会の場で沖合を主張していく」

故岸本建男市長は、条件という明確な抵抗ラインを示し、日本政府に対峙していたが、現市長には、その条件はない。「沖合」「沖合」という言葉を繰り返す壊れたテープレコーダーでしかない。

私は70年代の、米国から施政権が日本に返還された直後の名護市の総合計画「逆格差論」が、なにゆえに途中で放棄され継承されなかったのか、それでどうなったのかを考えることで、名護市民が自分たちの現在と未来を選択するための一助にならないかと勉強し発表すべく準備をしているが、どうしようもないほどの時間との勝負であり、名護市を離れて暮らすいま、焦燥感だけが募る。

私にとっての沖縄は、名護でありヤンバルでしかない。離れて暮らし、ますますそう思う。
私個人は、どこで暮らしても構いはしないが、1997年に市民投票で行なった市民の選択を実現するために、その未来へと通じるドアはないか、まだ試していないドアはないか探し続けている。

問題点を整理し、とりうる未来を示し、市民の選択に供する「仕事」を、どこかが誰かがやらなければならない。

切なさに身を委ねているわけにはいかない。

(あぁ、愚痴でしかなかったと思うが、こんなふうに感じ考えるときがあるのは事実。推敲せずこのまま覚書としてここに置いておく)