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宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

The Now Habit

気になるニュースがあったので、魚拓を取得しておいた。

[E:clip]

「普天間」予算先送り/09年度工事政府検討/14年移設は堅持の方針
(沖縄タイムス2008.11.22朝刊)魚拓

県「詳細承知しない」/普天間予算先送り/名護市長「沖合移動は堅持」
(同上)魚拓

続きを読むに、この件に関して少しメモ。

[E:pencil]

新基地建設の埋め立て工事にかかる予算が、アセスメントなどの手続きの遅れにより、来年度の予算から削られ先送りされそうだという。

でたらめなアセスメント手続きがゴリゴリ進行中だが、いずれは浮上して「準備書」の段階に移り、「評価書」が確定するに至る。

それを次年度にすべて済ますのは、かなり困難な作業である。

「準備書」への集中砲火は避けられない。「方法書」そのものに不備があり、事業内容そのものがドラスティックに変化しているのだから。さらに、おそらく「準備書」段階でも明らかにできない、環境影響に係る諸元が無尽蔵に出てくる。軍事基地の運用に関わる諸元であり、機材がどうなるのか、飛行経路・時間帯及びエンジンテスト等の騒音の発生源ですらが、すべてが運用に関わる問題である。アセスに記載された事業主体である日本国の防衛省が、わからないことはわからない。運用主体である米軍様の問題である。在日米軍基地の管理・運用・警護に関しては、排他独占的に米国が有していることは、地位協定3条の日本国政府(外務省)の解釈で明確にされている。

政府・行政によるでたらめなアセスメントの手続きでゴリ押しされているが、来年、「準備書」が出るなら、それを冷静にしっかりぶちのめすべく、反対する陣営は用意しなければならない。これこそ、先送りの許されない現実である。

[E:typhoon]

政府も無理に無理を重ねてここまで来ている。先送りばっかりの腑抜けだからといっても、相手は国家権力である。やるときにはやる。おそらく、道理がないのは明々白々なのだから、強硬な手段しかない。それを許すことは、私たちの生活の根幹への、生の根源への、権力の介入を認めることになる。私たちは、主権者でもなんでもない。

国家と自らを同一視することで、何者かであろうとする人々が増え続けているような気がする。自衛隊トップのリアリズムのかけらもない平和ボケした論文騒ぎや、国籍法の問題で噴出する狭隘なナショナリズムもどき、…とても危険な、嫌な空気の饐えた臭いを感じる。

行過ぎた対米従属から、日本国の社会をシフトしなければならないということに気づく人も増えている。沖縄への新基地建設を止める、希望はある。絶望などという大仰で空疎な結論を掴む必要はない。生き抜いていくためにも。

[E:wave]

それにしても、解散も、何もかも「先送り」である。どこかでちらっと読んだ「先送り」する心性について

自分が思い描いている理想とのギャップの中で生まれる不安・不満・焦燥感からいったん逃げ出すための自己防衛手段なのだ

という解釈があった。

おそらく、自己防衛である。官僚も、政治家も、米国との約束は守りたい、守らなければならないが、問題は起こしたくないし直面したくもない。SACO合意で演じられた無限の「歌舞伎プレイ」は、日米共同(ないしは米国黙認下)でやっていた。あれから10年、ブッシュは去り、クリントンと同じ民主党のアメリカになる。なにかが変わるだろうか。私にはわからない。
私は国家の変化より、地域社会における人々の意識の変化にこそ期待したい。

埋め立ての予算が2010年度に先送りされたとして、2010年度は名護市長選挙・沖縄県知事選挙がある。その予算を、名護市民・沖縄県民の政治的意思表示で無効にすることができる。

長いものにまかれる。ことなかれ。どうせ変わらない。よくなることはない。無駄なあがきだ。

いまの習慣はどこから来るのか。そのことに向き合い、変えれる力をほんの少し信じて、人々が動き出すときがくる。

在沖米海兵隊普天間飛行場は、県外に叩き出すべきだ。

そこに向かって、明日も掘ってみよう。なんか根暗な蛸壺のようでもあり、満身創痍の塹壕のようでもある。子どものときの大晦日に何度もテレビでみた大脱走のようでもある。掘り続ける、希望を。[E:bleah]

[E:end]