宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

逆格差論について(3)

1)1970年代

Signatureobtaining_campaign_for_ret長い間、沖縄に自治はなかった。

支配者である米軍の高等弁務官が「自治は神話である」と、沖縄の民衆に向かって真理を説いてくれたときもある。現在の在沖米国総領事のケビン・メアなど は、いまだに高等弁務官のつもりなのかもしれない。それはケビン・メアが誤解しているのではなく、沖縄の統治システムの本質が変わっていないことの表れなのだろう。

[E:punch]

沖縄の本土復帰の運動はいつからはじまったのだろう。1972年5月15日にそれは実現するが、復帰運動が目指していたものは裏切られ、沖縄が「処分」されたのだという事実は記憶されなければならない。沖縄では日本政府による公式の復帰記念式典ではなく、復帰を糾弾する民衆の行動がより大きく報道された。

[E:sun]

沖縄は日本国憲法の下への復帰を願い、曲がりなりにもそれが実現した。
日本国憲法第8章は地方自治を規定する。

第92条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める。

地方自治の本旨」という日本語は抽象的だが、憲法や他の法令等にも具体的定義はない。一般的には、ここでいう地方自治の本旨とは「団体自治」と「住民自治」を指すとされる。さらに第95条では

第95条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを規定することができない。

駐留軍用地特別措置法を二度にわたって変え、国民の財産権を蹂躙し、地方公共団体の首長の関与を骨抜きにしていく様は、本土の米軍基地はほとんどが国有地であり、ほとんど沖縄にのみ適用される特別法を国会で強行採決している様である。

沖縄は日本国憲法の下へ復帰したということを、アイロニーと憤りを込めて語らなければならない現実がある。

[E:flair]

沖縄に自治はなかった。
しかし、裏切られた復帰とはいえ、日本国憲法の下に復帰した1972年からは「自治」が存在するはずである。

その自治のために、1970年8月1日に1町4村が合併して市制を施行した沖縄県名護市は、名護市総合計画基本構想を定める。1973年6月である。

復帰に伴う政府による振興開発計画が、本土と沖縄の格差是正を掲げ開発に走り出していく中で、名護市の総合計画基本構想は「逆格差論」を掲げ、都市と農村/本土と沖縄の格差は逆であると認識し、地域の豊かさを発見・確認しそれを守り発展させていく「まちづくり」を志向する。

計画には3つの原則が位置付けられた。

1 美しい自然を守ること(自然保護の原則)
2 生活・生産基盤の確立(基盤確立の原則)
3 市の招来を市民の手で握ること(住民自治の原則)

そして4つ目で計画そのものを定義した。

4 計画とは…自治体における計画とは、現実のあらゆる差別、格差に対する未来への理性的、人間的闘いである。

[E:foot]

1970年代、沖縄は日本に復帰し、新たなる歩みを始めた。

日本は、公害問題の社会的認識の高まり、政治的には「過激派」の行動と取締りの激化。列島改造ブームで沸く土建国家システムの構築。ニクソンショックオイルショックにより経済的動向が激変していた。

沖縄は、振計による開発ブーム、海洋博での本土資本による土地買占めとホテル建設ブームに遭遇した。
そのなかで「逆格差論」を掲げて、名護市は「自治」を行なうべく歩き出した。

様々な社会的政治的行政的動向が、名護市の「自治」に影響を与える。それらを様々な角度から眺め、問題を浮き彫りにしなければならない。

[E:soon]