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宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

逆格差論について(1)

名護市の第一次総合計画・基本構想について、知りえている範囲内のメモ等を「なごなぐ雑記」に置いておく。

1973年に策定された名護市総合計画・基本構想は「名護プラン」とも「逆格差論」とも呼ばれ、その骨太の「地域主義」は内外の注目を浴びた。それらが、どのように実践され、どうして持続し得なかったのか。それを検証していくための材料としてのメモである。

海兵隊の新しい航空基地の建設地として、沖縄側の関係自治体(沖縄県名護市)も同意して事業が進められようとしている。

1972年に本土復帰した際に、沖縄県民は「建議書」において基地のない島を求めることを明記した。その沖縄の要望を無視して、国会における強行採決で復帰はなされた。自ら求め日本国の一員になったのだから、政府の意には、多数派の国民の意には従うべきだと、沖縄に意見をされる(県民の中にもいる)人々は、事実をしっかりと見据えるべきだ。この復帰は、求めた復帰が裏切られたのではなかったのか。

名護市の逆格差論は、本土復帰に対する、地域からの「建議書」であり、地域主義のマニフェストだった。
その地点をもういちど、掘り返すことで、名護が陥っている現在の混迷を切り開きたい。

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1970年8月1日
名護町・羽地村・久志村・屋部村・屋我地村の5町村が合併し、県下9番目の市として名護市が誕生する。

1972年5月15日
沖縄の施政権が米国から日本国に返還される。

1972年秋
名護市より象設計集団に総合計画基本構想が依頼される。
計画策定スタッフは18人。基本構想の末尾の策定スタッフ連名の筆頭に三人の名が置かれている。

○大竹康市(象設計集団、早稲田大学講師)
○地井昭夫(広島工業大学講師、農村建築研究会)
○小路紀光(都市環境計画研究所主任研究員)

1973年5月
岸本建男、名護市役所に就職。企画室で総合計画・基本構想を担当。
(1967年3月に早稲田大学政治経済学部卒業後、69年か70年ごろに1年10ヵ月をかけて世界45カ国を走破。その後、沖縄の国場組系列の株式会社・国建に就職している。国建から市役所に就職するに至る経緯は諸説あり。同氏と象設計集団との関わりも、国建からの流れですでにあったのか、市役所就職によるものなのか未確認。)

同年6月
名護市総合計画・基本構想

沖縄振興開発計画で本土の格差是正がうたわれ、「海洋博」に便乗した本土資本による土地買い漁り、ホテル建設ラッシュが沸き起こるるなかで、都市と農村の「逆・格差」を掲げた総合計画は注目を浴びる。

計画の三つの原則が位置付けられている。
○自然保護の原則
○基盤確立の原則
○住民自治の原則

※総合計画・基本構想の要諦である「逆格差論」については、「第一章・計画の視点」「第二章・計画の主旨」において展開されている。用意が出来次第、テキストをネット上にアップする。


次回は、私が書いていこうとしているメモのアウトラインを記す。