「沖縄戦」について(前)
前回の「天皇メッセージ」に続けて、「沖縄戦」についてノートしておく。ざっと表層を眺める程度しかできないが、戦前・戦中・戦後の三回に分けて書こうと思う。今回は戦前編。
どこいらへんからはじめるか。少し考えたが、盧溝橋事件から流れをおさえておくことにする。日本国は、中国北東部に満州国という「傀儡国家」(異論もある)をつくったり、朝鮮半島・台湾などを植民地にしている。…
1937年:北京郊外で日中両軍が武力衝突する「盧溝橋事件」を契機に、宣戦布告のないまま中国に対する日本の侵略戦争が拡大。
1938年:日本は戦争体制を作り上げるため「国家総動員法」制定。政府は議会の承認なしに国民のすべてを統制する権限を得た。
(画像は、日本軍の占領域が1937年から1942年にかけて拡大していく地図。)
1939年:ヨーロッパではドイツがポーランドへの進攻をはじめ、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告し第二次世界大戦が勃発する。
ヨーロッパの戦争に不介入方針だった日本だが、フランスが大敗しイタリアがドイツ側にたって参戦する中で、陸軍を中心に英米との戦争を覚悟してでもドイツと結んで南方進出しようというムードが高まる。
1940年:軍部はドイツとの同盟に消極的だった米内内閣を倒し第二次近衛内閣を樹立。「日独伊三国軍事同盟」を結ぶ。政党も解党し「大政翼賛会」が設立。
1941年:アメリカは日本に日米通商条約の廃棄を通告。日米交渉はじまる。日本は北方の脅威を取り除くため、ソ連との間に日ソ中立条約を締結。
同年7月:ベトナム南部に日本軍が進駐。アメリカ・イギリス・オランダは報復として在外日本人の資産凍結、アメリカは日本への石油輸出を禁止。近衛内閣が日米交渉の妥協点を見出せず総辞職。対米強攻策を主張する陸軍大臣の東条英機が内閣を組織。
同年12月8日:日本海軍が、ハワイの真珠湾への奇襲攻撃。「太平洋戦争」(日本国による名称は「大東亜戦争」。戦後、GHQによりその呼称が禁じられる。)が始まる。
ふーっ、少し息をつこう。
日中戦争が行き詰まり、アメリカの日米通商条約廃棄で戦略物資が不足し出すと、日本は本格的に南方進出を企てる。
沖縄の軍事的位置と、移民として南洋諸島に進出していた沖縄県民がクローズアップされる。
第一次世界大戦後、ドイツ領だった南洋諸島は日本の信託統治領になっており、沖縄から多数の県民が移民していた。1940年には、南洋諸島への沖縄県民の移民は約8万人にも達し、在留邦人の7割を占めた。
南洋諸島における沖縄県人の戦没者は約1万2000人といわれているが、いまだに未収集の遺骨がある。
(画像は、日本軍が太平洋上の拠点を1943年から1945年にかけて失っていく地図。)
1942年6月5日:ミッドウェー海戦で日本海軍大敗。
1943年:「学徒出陣」はじまる。26歳まで徴兵猶予されていた学生だが、兵力不足を補うため20歳以上の文科系等の学生が在学途中で徴兵され、出征。(沖縄の鉄血勤皇隊については次回言及。)
1943年夏:沖縄本島・伊江島・大東島・宮古島・石垣島の十数か所に日本軍の飛行場建設はじまる。
1944年3月:沖縄守備軍・第32軍が創設される。
同年7月~9月:実戦部隊が沖縄各地に配備される。「現地物資を活用し、一木一草と雖も之を活用すべし」という軍の方針で、学校・公民館・民家を兵舎として、民間人の食料や牛・馬・豚までが軍用として徴発。
どんどん沖縄が要塞化されるなかで、サイパン島が陥落するニュースが伝えられる。サイパンには多数の沖縄県人の移住者がいる。同胞の死の哀しみと、「次は沖縄」という予想が人々にショックを与える。
1944年7月7日:日本政府、沖縄県民の疎開計画を緊急決定。
同年8月:疎開船の「対馬丸」が米潜水艦の攻撃を受けて沈没。住民には極秘にされたが自ずと住民の知るところとなる。疎開への不安が増し、住民は疎開に対して消極的になる。
同年10月10日:県都那覇を中心に、早朝から午後4時過ぎまでのべ900機に及ぶ米軍艦載機の猛烈な空襲。那覇市は市街地の90%を消失する。
「十・十空襲」を受けて、沖縄がきたるべき戦場になることが確実視され、県外疎開がにわかに活況を呈す。
しかし、沖縄戦が始まるときには、約45万人の県民が県内にとりのこされたままだった。その多くは本島中南部に集中しており、米軍上陸前に北部への疎開者は約3万人しかいなかった。数十万人の人々が、中南部の激しい戦闘地帯に封じ込められることになる。
(備考)
太平洋上の島々で、どのような戦闘が行なわれてきたのか。民間人がどのように巻き込まれ死んでいったのか。それらのディテール(細部)については、いっさい触れてないが、そのことへの想像力と事実を知るための努力が肝要。
ミクロネシアで起きたことと、現在についてはヤップ島在住のsuyapさんのブログの過去記事を参照してください。
→ミクロネシアの小さな島・ヤップより(ヤップと戦争)
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【参照】
下記のリンク先はすべてwikipedia。
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