読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

「天皇メッセージ」について

「日本とアメリカが戦争したことすら知らない」、そんな人がいるという。笑えないけど、そのときは微かに笑ってみせた。
「“天皇メッセージ”なんて知らないだろうね」とたずねたら、「そんなマニアックなこと知るはずない」と答えが返ってきた。…そうだろうなぁ、と思った。ということで、沖縄について、この国について考えるために、少し調べれば出会える情報へのリンクを紹介するノートをつくってここにおくことを思いついた次第です。

Koukyomae 1945年8月14日天皇の大権によって「終戦の詔書」が宣布され、翌15日正午にラジオ放送(玉音放送)を通じて広く国民に報じられた。

1945年9月2日東京湾上の米艦ミズーリにおいて日本国と連合国代表(マッカーサー)により「降伏文書」に署名が行なわれ、日本の降伏が確定した。

1946年11月3日:「日本国憲法」が公布された。

(画像は1945.8.15の皇居前広場

それらに先立つ

1945年2月:連合国主要三カ国(アメリカ・イギリス・ソ連)の首脳による「ヤルタ会談」が行なわれ、第二次世界大戦後の処理についてドイツの分割統治などを決めた「ヤルタ協定」が結ばれた。主に日本に関する処理については「極東密約」が結ばれる。それによってソ連が対日参戦、日本とソ連(ロシア)の間に現在でも続く「北方領土」等の領土問題を残した。

ヤルタ会談以降、「冷戦」がはじまったとされている。

「日本の民主化・非軍事化」として始まる戦後体制は、冷戦の構造に大きく巻き込まれていく。
今日に続く日米の「同盟の橋頭堡」(進藤栄一氏「分割された領土」92頁)となる、重要なメッセージが日本側から発信される。

1947年9月昭和天皇は側近を通して連合国軍総司令部(GHQ)に対し、沖縄の長期占領を希望することを口頭で伝えた。いわゆる「天皇メッセージ」である。

Opinion左の画像は、国務長官宛書簡の本文である。クリックすると拡大するので、英語のできる方は、原文でお読みください。下のPDF画像をクリックしても原文資料が出ます。

以下、沖縄県公文書館のウェブサイトから当該ページの説明文を引用します。

-------------------

PDF画像(全2頁)(226KB)

①1947年9月22日付シーボルト連合国最高司令官政治顧問からマーシャル国務長官宛て書簡

琉球諸島の将来に関する天皇の見解」(Emperor of Japan’s Opinion Concerning the Future of the Ryukyu Islands.)

②1947年9月20日付シーボルト作成「マッカーサー元帥のための覚書」(Memorandum for: General MacArthur)

①と②の2頁からなる。米国による沖縄の軍事占領に関する天皇の見解(天皇メッセージ)をまとめたもので、いずれも宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルトに伝えられた内容の記録である。

内容は概ね以下の通り。

(1) 米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。

(2)(1)の占領は、日本の主権を残したままでの長期租借によるべき。

(3)(1)の手続きは、米国と日本の二国間条約によるべき。

文書によると天皇は、米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしている。

1979年にこの文書が発見されると、象徴天皇制の下での昭和天皇と政治の関わりを示す文書として注目を集めた。天皇メッセージをめぐっては、日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする説や、長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だったという説などがあり、その意図や政治的・外交的影響についてなお論争がある。

(資料コード: 0000017550) 

-------------------

新しい日本国憲法のもとでは「象徴」でしかないはずの、かつての現人神が行なった発言は、米国務省国防総省の対日政策に関する意見の対立のなかで、今日に続く日米同盟の橋頭堡としての役割を果たした。(進藤栄一氏前掲書参照)

1951年9月8日:「日本国との平和条約」がアメリカのサンフランシスコで連合国と日本代表により署名された。この条約によって正式に、連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認。この条約によって、小笠原と南西諸島がアメリカの信託統治に置かれることになった。以後、昭和天皇が望んだように、沖縄は「忘れられた島」として米軍統治下に置かれることになる。

同年同日日米安全保障条約が結ばれ、占領軍のうちアメリカ軍以外の部隊は撤退し、アメリカ軍は在日米軍となった。

日本の戦後体勢の逆コースが始まる。1972年に施政権が日本国に返還された後も、米軍は沖縄に居座り続けている。

この国の成立の根幹に、沖縄の軍事基地は「定礎」の如く組み込まれている。憲法9条は、一度もまともに沖縄に対して適用されてはいない。

それらの一連の大きな動向の中で、「天皇メッセージ」が果たした役割をみる必要がある。

[E:pencil]

冷戦は、1989年12月のアメリカ(パパ・ブッシュ)とソ連ゴルバチョフ)の首脳による「マルタ会談」で終結した。しかし、「日米同盟」は、冷戦対応から「テロとの戦争」路線へと転換し、拡大強化が図られ続けている。沖縄の米軍基地も同じく、さらに長いスパンで使用できるよう老朽化した基地のスクラップアンドビルドが進められようとしている。名護市への新基地建設がその最大案件である。

 

-------

【参照】

玉音放送wikipedia

日本国憲法の誕生国立国会図書館

ヤルタ会談wikipedia

冷戦wikipedia

天皇メッセージ沖縄県公文書館

日本国との平和条約wikipedia

日米安全保障条約wikipedia

逆コースwikipedia

書籍
『分割された領土-もうひとつの戦後史』
進藤栄一著・岩波書店刊(岩波現代文庫)→岩波書店

[E:end]