宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

米兵の「基地外」居住と、海保の「基地内」出動と

Sunabe [E:one]米兵の基地外居住に関して、沖縄の市民グループが独自に視察調査を行なった。地元の新聞でも報道されているが、市民グループウェブログで報告がなされている。ぜひ一読あれ。

ネオキの会

[E:two]海保が新基地建設に係る環境調査の警護のために、海兵隊基地「キャンプ・シュワブ」から出動したことについて、テレビニュースで報道されている。

海保の警戒用ボート シュワブから出港
2008年05月08日(QAB琉球朝日放送

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[E:one]
基地外居住について、私も関心があり、3月にブログで記事を書いている。

恐怖!在日米軍基地は基地外へ増殖する(追記あり)
なごなぐ雑記:2008年3月29日 (土)

日記の方では、不動産業者の方の「興味深い」情報発信について紹介した。

米兵の基地外居住
nagonaguの日記:2008年03月28日

確信もないし、片手間では調査もできないので、なんとも言い難いが、米兵たちの基地外居住については、明らかに補助が出ている。その補助が「思いやり予算」などの、日本国民の税金ではないのか、私には大いに疑問である。

沖縄でいわれていることは、米兵たちはその予算ギリギリの家賃で賃借するらしい。つまり彼らは自らの自己負担が限りなくゼロに近いわけである。このような予算を米軍側が米国の予算から拠出しているのか?「思いやり予算」で建設した基地内の住宅は空き家になっているのに、そのような事柄がまかり通っているのは、無駄としか言いようがないのではないか。

基地外居住は、地元業者に仕事が発生するという経済効果もあるからだろうが、沖縄の新聞でもこの問題を問題とする雰囲気はない。しかし、少し調べればすぐわかることだが、北谷町砂辺あたりで大規模な米兵相手のマンションなどを建設・経営しているのは、「本土」のデベロッパーである。ここでも、ザル経済で還流構造である。

基地外居住と米兵犯罪の因果関係が皆無でないことは、事例をみれば明らかである。経済的には、構造的にザルで還流、いくばくかのおこぼれを地元がいただく。犯罪被害に関しては、女性や子どもらが一身に負わされる。

沖縄は少し狂っているんじゃないか。

これらはいま始まったことではない。私が現在住む宜野湾、嘉数高台界隈には、老朽化した一戸建ての外人住宅がたくさんある。いまでは、日本人や沖縄人が住むのに人気物件である。長い年月をかけて、堆積した矛盾は、層を成し、沖縄社会そのものをつくりだしている。

この流れを断ち切るには、どうしたらいいのか。私には問いしかない。気が狂わずに、この問いを問い続け、生きて何かを成していくことは簡単ではない。沖縄の隣人が、ほんとうに愛おしくなる。

[E:two]
08050808_r 沿岸警備を任務とする海上保安庁が、米軍基地に拠点を置いて出動するというのは前代未聞である。海保は省庁間で調整し法的には問題ないとしている。

とてつもなく情けない、精神の頽廃。

「離脱の精神」で藤田省三さんが書いていたエピソードを思い出す。ただ思い出しただけだが、下記に引用しておく。

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「俺たちは公務員であって軍人ではない。だから戦争には参加すべきではない」という決議を、海上保安庁掃海艇の乗組員が、連れて行かれた戦争の現場で行なって、断然たる戦線離脱の挙に出たことがあったようである。(略)

1950年(昭和25年)10月のことであった。(略)

…戦後五年間の激動の中で獲得された歴史的経験がその宣言を無意識の裡に彼らの精神的身体の中に用意していたのに間違いない。現に「公務員」という単語からして戦前の日本にはなかった。いわんや、上からの命令を拒否して戦線離脱を積極的に主張させるような「公務員」概念は5年前までは想像することさえ出来なかった筈である。この事件の起こった時点においても、そして民主主義が「定着」したなどと言われる今日においても、日本の役人の世界でこういう「公務員」概念は一般的に無かったし今もない筈である。戦後日本の精神革命は、この比較的に「保守的」な人々が否応なしに決断を迫られた此の時におのずと口にした一句の中に、その小さなしかし奥深い結晶物を人知れず表出していたのである。(略)

「離脱の精神-戦後経験の一断章-」(藤田省三『精神史的考察』平凡社選書72所収)

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沖縄で現在進行形の、米軍基地を建設しようという政府の行為に、どのように向き合っていけるか。現場で日々、身体を張って戦っている人々がいる。いたたまれない気持ちを持ちながらも行動できず、精一杯に日々を生きる名護市民がいる。

有効な次の一手を模索して精神の彷徨は続く。無為に日々が過ぎていくことに、ときどき叫ぶ私がいる。

次の一手を、深く深く根源を撃つ次の一手を。

[E:end]

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