宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

休日の個人的独白。もしくは吉祥寺。

ゴールデンウィークをみなさんはどのようにお過ごしですか。
わたしは、ひとつ仕事の段取りを終えて、おおきく息をついて、家人の迷惑も顧みず寝たり起きたりさせていただきました。

ちょっとうれしいことがあったので、ngaonaguの日記のほうに、書き留めておきながら、小室等さんの「おはようの朝」を貼り付けました。そうすると、なんとなく80年代を暮らした東京での生活を思い出してしまった。

練馬区関町界隈にずっと住んで、中央線は吉祥寺を最寄の駅にしていました。一時期。とてもかけがえのない長い一時期。関町からちょっと北に歩いた大泉近くに住んでいました。

あのころ一緒に暮らした、あの人はどうしているだろう。

ものすごく心が掻き乱されるのを感じながら、なにも考えないようにしながら、今日は一日中、寝たり起きたりしていました。

ほんとうは、午後からどこか家人とともにお出かけしようと思っていたのだが、わたしの怠惰なせいでそれも叶わず、罪滅ぼしといえば大げさだけど、晩飯はわたしがつくらせてもらいました。

自分で言うのもなんだが(だれも言ってくれないので)、とてもおいしい蒸し鶏をつくることができた。わたしはほんとうに数ヶ月ぶりに、晩飯を泡盛と一緒にさせていただいて、とてもいい気分で酔わせていただきました。

斉藤哲夫さんの「吉祥寺」のYouTubeの画像に出てくる、「いせや」の映像をみながら、10歳年上の高田渡さんとそこで遭ったこと、立ち飲みのカウンターで居合わせたサラリーマンの方々も含めて、楽しく穏やかに世間話をさせていただいたことを思い出した。とても穏やかないい夕方だった。高田さんが、もうこの世界にいないことを思うと、とても悲しく不安になって、少しだけ涙が出た。タリさんも、藤田さんも、西井さんも、建男さんも、兄も、友も、みんないないのに地球は回っている。

そんなふうに、一日が過ぎて、もうじき終わろうとしている。

この世のいたるところに、神様がいる。わたしは生かされている。わたしの能力や感性や存在の力など、どれほどたかが知れているのかは嫌というほどわかっている。でも、いや、だからこそ、生きるために闘わなければならない。石もて追われても、わたしの、いや、わたしのでなくていい、ただ、沖縄からだけは逃げない。

だれもいなくなっていない。わたしが生きているのなら。みんなそこにいる。