宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

4.28移ろいゆくもの変わらないこと

Yoshida_signs_san_francisco_peace_t 昨日は、4.28だった。「沖縄に来るまで知らなかった」という人が身近にいたので、少しだけふれておく。1952年の4月28日に「サンフランシスコ講和条約(リンクはWikipediaが発行・公布されて、この条約によって連合国は日本国の完全な主権を承認した。

同条約により日本国は独立したが、1972年に施政権が返還されるまで沖縄は米軍の統治下とされた。

さて、その後の沖縄はどうなったか。沖縄の現在はどうあるのか。なにが変わって、なにが変わらないのか。ゆっくり検証する余裕もないが、新基地建設に係る事態の推移など気になる情報を紹介しておく。

米軍が上陸後、住民や捕虜を収容所に閉じ込めている間に、勝手に土地を取り上げ日本本土襲撃のために作った軍事飛行場。それが普天間である。戦後60年余を経て、周辺は市街化し「世界で一番危険な基地」になっている。返還を1996年に日米は合意したが、県内への代替施設という条件付であり、移設先にされた名護市辺野古沿岸域にはジュゴン(リンクはWikipediaなど絶滅危惧種が棲息していることもわかり、わたし自身も深く関わった1997年の市民投票をはじめ、人びとの粘り強い反対に遭い計画は頓挫した。
2006年には米軍再編で新たに、陸域と一部海域を使う拡大計画に変更し日米は合意した。あくまでも、沖縄に、名護市辺野古沿岸域に基地建設を強行する日米政府の意思である。
そのことに対する、粘り強い反対は続けられている。

ジュゴン訴訟

米国で米国防総省を相手に起こされた訴訟は、裁判所が米軍当局にジュゴンへの配慮などをどのようにするのか具体的計画を示すよう指示した。米軍はこれまでずっと、新基地建設は日本政府の行為であるとしていたが、米軍行為であることを一部認めざるえない立場に追い込まれている。
それらの動向については、下記の記事を参照していただきたい。

米国で勝利した「沖縄ジュゴン訴訟」、那覇でシンポジウム 普天間基地移設問題
(JANJAN:浦島悦子2008/04/28)

米国弁護士が明らかにする「配慮する」の意味 沖縄ジュゴン訴訟
(「癒しの島」から「冷やしの島」へ:24wacky2008/04/28)

沖縄ジュゴン訴訟/米提出の報告書「ずさんすぎる」
沖縄タイムス:2008年4月26日(土)朝刊28面)魚拓

オスプレイ配備

米軍は、老朽化したヘリの代替としてオスプレイ(リンクはWikipediaの配備を計画している。1997年当時から、市民グループはその情報を入手し、日本政府に対して問い続けていたが、政府はそのような計画はないと言いつづけて来た。それらの答弁のありかたが、10年を経て変わってきている。

オスプレイ配備 外相が可能性言及
琉球新報:2008年4月23日)魚拓

同様のことは、二本の滑走路が、離陸用着陸用にわかれており、そのことによって陸域を飛ばないとされていたことについても、米軍当局がそんな約束はできないと発言し、日本政府も「緊急時にはその限りにあらず」→「訓練の様態ではありうるのは当然」というように変化してきている。

最初に、地元が了承できるための「ウソ」をいい、地元首長もその「ウソ」を根拠に自らの意思決定の酷さを粉飾し、あとは既成事実を走らせるという手法である。

■負担軽減というおためごかし

昨日の記事でも紹介したが、県内大学人によるシンポジウムがあったが、琉球新報にも記事が出ていたので、あらためて紹介しておく。

米軍再編「負担軽減にならず」 機能強化の側面指摘
琉球新報:2008年4月28日)魚拓

ジュゴン訴訟や、市民は最大限の努力をして、問題の酷さを明らかにすべく活動している。そんなことはないかのごとく、政府は基地建設のために、米軍の機能強化のために駒をひとつずつ進めている。

シュワブに舟艇整備場 日米合同委、5施設建設で合意
琉球新報:2008年4月18日)魚拓

日本政府は、国民の税金を数兆円規模で投入する米軍再編について、「沖縄の負担軽減」をことさらに大きく言い募る。しかし、人びとの反対の声を圧し潰し貴重な自然を破壊して新しい基地を造ることは、負担軽減にならないことは論を待たない。

しからば、なぜ、そのような事柄を地元の有権者により選ばれた首長や議員たちは受け容れるのか。日米安保に協力するなどという公共性に鑑みる意思などどこにもない。沖縄は、戦後この方、日本国が主権を取り戻した1952年の4月28日に切り離されてなお、協力しすぎるほど協力してきた。

「沖縄の負担軽減」というおためごかしを強弁しなければならないほど、酷いことが沖縄で進行中である。「負担軽減」というウソは、酷さの証左である。

名護市の哀れ

わたしは、名護市の島袋吉和市長をなにひとつ評価できない。基地問題だけではない。産業政策も、行政全体に関するビジョンも、まともなものは何もない。基地を受け容れる役割だけの市長である。亡くなった岸本建男前市長には、曲がりなりにも、政府と交渉し主張することで信念を貫こうという意思はあった。名護市は不幸である。

そんな輩でも、受け容れの役割は演じているのだから、政府は餌を与える。

再編交付金、名護市に支給へ=防衛省
時事通信:2008/03/26-16:05 )

しかし、彼らが行政を仕切っている限り、そのような税金を注ぎ込んでも名護市に「振興」はもたらされない。政府の手厚い振興策が展開されても、名護市民の所得は41市町村中29位と伸び悩んでいる。

市町村民所得 県内格差の縮小も課題だ
琉球新報:2008年3月21日)魚拓

旧市街地の空き店舗率は上がる一方。市街地に市営住宅を造る計画も、わたしが市会議員のときに執拗に指摘し続けたが、ご都合主義でしかなかった。あれから二転三転し、結局地域への説明も了解もなく、地域要望もニーズも何もない場所に計画決定してしまう。この無能ぶりは、いくら田舎の地方自治体だからといって酷すぎる。

地方自治の本旨

地方自治の本旨が、根底のところで試されている。
1960年も70年も、安保は大きく問われていた。同時に沖縄政策が問われていた。
最近、「連合赤軍」の映画が話題になったが、市民社会に害する「過激派」なる言葉が生まれ流通することで、沖縄問題も安保の問題も、すべてが市民社会から隠蔽されていった気がしてならない。
問題は何一つ終わっていないのに、すべてが過去に流されようとしている。
1952年4月28日から何十年が経過したのか。
流されずに、問題が問題としてそこにあることを、多くの人に知って考えてほしい。

そんなふうに、ゴールデンウィーク返上で仕事に励む、沖縄の貧乏ヒマなしのおっさんは思い、また長くなりすぎたエントリーをむりやり閉じるのであった。[E:bearing]

[E:end]

BlogPeopleランキングに参加しています、ご協力を感謝。