みやぎブログ

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新潮社の回答について

20080214 1945年以来、沖縄は占領され続けている。その事実を無視して、占領軍による事件・事故に対する対策を講じようとしても不可能。占領を終わらせることでしか、解決しない。

その現実をみたくない、考えたくないために人は、事件・事故を起こした占領軍ではなく、起こされた被占領側の「自衛措置」に言及する。

「新潮社」の言説にみられる闇の深さを私は測れない。

この言説の根幹にあるのは、この国のマジョリティにより支えられている国家政策からくる腐臭ではないのか。

沖縄/大和の二項対立を超えて、「沖縄問題」などないことを知り、この国の占領状態を終わらせよう。

そうすることでしか、この問題に出口はない。戦後63年間、立憲主義もまともに根付くことなく、憲法も風化する。63年の長きに渡って、沖縄には一度たりとも、憲法9条は適用されなかった。

沖縄の新聞報道にある「被害者宅まで押しかけて取材」という女子中学生へのセカンドレイプを行なう一部週刊誌が『週刊新潮』なのか私は知らない。実は、私はこの新潮の記事を読んでもいない。読む気はさらさらない。読まずにする批判が意味がないとも思わない。
私には、下記抗議申し入れと、それに対する回答を知れば充分である。

【抗議の内容】

from AJWRC : 『週刊新潮』記事に抗議の申し入れを行いました
アジア女性資料センター2008-2-20

…前略…

2008年2月19日

〒162-8711
東京都新宿区矢来町71
株式会社 新潮社
代表取締役社長 佐藤隆信 様

私たちは、御社発行の『週刊新潮』2月21日号(2008年2月14日発行)に掲載された記事『「危ない海兵隊員」とわかっているのに暴行された沖縄「女子中学生」』に抗議し、社会的に責任ある対応を求めます。

この記事では、2月10日に沖縄県で発生した在沖米兵による性暴力事件に関して、被害者の住居や学校のある自治体名が挙げられています。また、少女が性暴力の被害にあったのは、海兵隊員に対する認識が甘かったからだと、あたかも事件の責任は被害者の側にあるかのように書かれています。

これは、すでに心身に大きな傷を負っている性暴力被害者に対する「セカンド・レイプ」にほかなりません。しかも大きな社会的影響力をもつ出版メディアが、いっそうの被害者バッシングを煽るような言説を流布するとは、あまりに無責任で悪質な態度ではないでしょうか。

他のどの犯罪よりも性犯罪においては、性差別的偏見のために被害者の「落ち度」が強調されることによって、被害が矮小化され、加害者が免責されてきました。責められるべきは加害者であり、被害者ではありません。このような言説は、被害者を精神的にさらに傷つけ、被害からの回復を阻害することにもなります。

表現の自由とは、いかなる人権侵害も許されることを意味しません。大きな権力を持つマスメディアの担い手として、性暴力被害者のプライバシーと人権を守る社会的責任をどのように考えておられるのでしょうか。2月29日までに、御社の責任ある回答を求めます。

なお、ご回答は公表しますので、文書にて、下記宛にご送付ください。

                                    アジア女性資料センター
                    
…後略…

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【抗議への回答】

from AJWRC : 新潮社より回答がありました
アジア女性資料センター2008-3-6

…前略…

平成20年2月29日

アジア女性資料センター御中
                           株式会社 新潮社
                           「週刊新潮」編集部

前略 弊誌2008年2月21日号の特集記事「『危ない海兵隊員』とわかっているのに暴行された沖縄『女子中学生』」に対する「申し入れ」を拝受しました。
2月10日に沖縄県で発生した在沖米兵による性暴力事件が、傷ましく、かつ赦すことのできない非道な犯罪であり、その責任が加害者である米海兵隊員にあることは言うまでもありません。しかしながら、米兵による同種の事件は、それが起きるたびに米軍側に再発防止を申し入れているにもかかわらず、今日まで頻発しているのが実情です。このような犯罪の再発を防ぐためには、米軍側に厳しい処罰や規律の厳格化を要求するだけでは十分ではなく、その一方で住民の側も自衛措置を講じる必要があり、特に、海兵隊員が時に危険な存在に変わりうることを子供たちに徹底的に教え、指導していかなければなりません。当該記事は、被害者に配慮しつつ、そのような再発防止策が必要であるという観点から書かれたものです。以上、回答いたします。   
                                              草々

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セカンドレイプを指摘された出版社が、《住民の側も自衛措置を講じる必要》と《再発防止策が必要である》と自己の行為を正当化してのける。

海兵隊員が時に危険な存在に変わりうる」ということの、子どもたちへの教育と指導が必要と言うなら、それとは真逆の日米双方がとる「よき隣人政策」をこそ取材し検証すべきである。それすらせず、いたずらに被害者の特定につながる情報を記述し認識の甘さに言及するのは《被害者に配慮》する意思など欠片もない認識不足と悪意を曝け出しているだけである。

自らの行為の過ちに関して、忸怩たる意識を欠片も持たずに、このように開き直る姿勢を私は断じて容認することができない。

新潮社という出版大手がこのような態度で、セカンドレイプに平然と開き直る。その出版社から書籍を出している良心的な作家の方々や、購読者である市民はどのように応じるのか。不買運動も、作家の方々の抗議行動も起りうるべきである。

もし、心身ともに傷つけられたということで「新潮社」及び 「週刊新潮」編集部に対する集団訴訟が提起されるなら、私は沖縄で生活して中学生の娘を持つ親として原告の一人に加えさせてもらう。

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抗議の県民大会に、自民党沖縄県連は不参加を決定したらしい。沖縄タイムス2008.0308
いわく「被害者や家族の心情に配慮して」である。

「そっとしていてほしい」という、心からの叫びを、そのように政治的に利用する政治党派の思惑を超えなければ、この連鎖は止まることはない。

我々は超えきれるだろうか。

1995年の少女レイプ事件から十三年。
1997年の名護市民投票から十一年。

あれからずっと、「基地か経済か」というまやかしの選択肢を突きつけられ、経済を選択し続け沖縄はもがいている。

1945年の米軍上陸から六十三年。

沖縄は米軍に占領され続けている。

1972年の施政権返還から三十六年。

日米共同で沖縄の米軍占領は継続され続けている。

限界を超えた矛盾の狭間で、沖縄は少女の人権すら守りきれず黙り込もうというのか。
日本のマジョリティは、「黙れ、君らの“躾”がなっていないのだ」と恫喝するのか。

「新潮社」と「産経新聞花岡信昭」という頭の狂った連中の発言は、荒唐無稽ではなく、現実そのものとして我々の現前にある。この狂った連中の発言が、日米両政府の沖縄への政治的意思を源泉としていないとだれがいえるのか。

超党派の県民大会を忌避する自民党沖縄県連が、政治的にそのような現実に加担していないなどとだれがいえるのか。

少女を守りきれない世界なら、そのような世界を耐え忍べというなら、世界など滅びても構いはしない。

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