宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

赤米壁論序説(今度こそは適当には終わらせない)

少し早い時間から酒を飲み、酔っている。たわごとをノートしておく。

赤(共産主義)の壁と、米(アメリカ)の壁が私たちの世界を規定している。
赤米壁論を小生は、諸君らにいまここではじめて明らかにするのだが、そのことをして小生の社会的な信用や名誉がどのように傷付こうとも、もはや致し方ないほどに、小生はそれを諸君らに披瀝することで、大いなる警鐘を鳴らそうとする決意をもってこの序説を書き記すのである。

小生は、どのような過酷なパージも、どのような誹謗もこれを甘んじて受ける覚悟である。そうすることによって、小生が信じるところは、そうすることによって、少なくても守るべき我が子を守る道につながると確信するからである。

アカの壁は、散々言われ尽くしているが、小生は歯牙にも掛けずにきた。なぜなら、あまりにもマリノリティでしかない、正しい言説は、政治的な有効性を発揮 しえないのならば、それは政治的には正しい言説ではないのだと考えていたからである。しかし、数日前に、比較的小生と同じように普通の生活者であろうと思 われる方から、岩国が共産党の町になるのを嫌がった方たちが動いたのではないか(その方の名誉のために記しておくが、その方は決して自身がそうであるとは 言っていない)というお話をされた。

小生は、そのような動向はあるのだろうと思った。アカの壁は根深く、この国の人々の精神を犯している。

しかし、私はまた別のところで別の機会に、そのことを違う角度で思い知る経験をした。

共産党の支持者である方が、沖縄における中学生がレイプされるという事件に関して、ありていとしかいえない抗議をする県知事を論評して曰く、住民もこんな知事を代表に選んでるんじゃないよとおっしゃられるのである。アカはアカでどこまでも正しい言説をなさるようである。知事は自公政権の与党に推薦されて当選した生粋の保守系の人物であろう。年中行事のように抗議をしなければいけないことに忸怩たる思いを持ち、戸惑いながらも抗議文を読んでいるのだろう。問題は、この知事を選び出す住民にあると指摘する前に、知事をしてそのような「仕事」をさせる沖縄の構造的位置にあるのではないか。そのことをなしているのは、日本人のマジョリティではないのか。そのことを問わずして、アカらしい正しさの内側で、知事及び知事を選出している住民を馬鹿にする精神にアカの驕りを私は見てしまうのであった。

アカはまたアカの壁の内側で、アカらしいアカな言説と行動様式を持っている。

小生はそのとき、はたと思い至る。アカの壁は、アカを毛嫌いしてその向こう側で乗り越えきれず躊躇している側にのみあるのではなく、乗り越えたつもりでいる「正しい」人々にもあるのである。アカの壁は、根深く、この国の人々の精神を蝕んでいる。日米安保を廃棄しない限り、このような状態が続くというのであれば、国会においてこれだけマイノリティになっている人たちの言説がいかに正しかろうと、その正しさ通りだとするならば、いつまでも沖縄のこの状態が続くということではないか。

さて、そのように思い至ると同時にもうひとつの壁について小生は考えざる得ない。それは米(アメリカ)の壁である。

何故に、保守言論人ともあろう方が、我が国の子弟が米海兵隊員に陵辱されているというのに、その子弟およびそれを育む親や社会に対して「しつけ」をきちんとしていないと叱責なさるのか小生には理解が及ばない。

もしかして、沖縄の子弟の尊厳は、日本の保守的な思想信条をもつ方々には保守すべきものではないということが前提として共有されているのかもしれない。そのことについては、深く思考を進めることはしない。しかし、日米安全保障条約体制が、我が国にとって死活的に重要なのだということはその論調からはうかがい知れるものである。

左翼の方々は、日米安保に、軍事的な安全保障そのものに反対だから、その上では、両者に歩み寄れるものはないのであろうが、しかし、そんな議論をずっと続けていても、結局はまた小学生や中学生が陵辱される事態は起こるのである。右翼も左翼も、安保の神学論争をして、沖縄の子弟をそのまま危険な状態に放置し続けているのである。

解決策はなんだ。沖縄から基地を無くすことでしかない。しかし、その基地を受け入れる気は日本人にはない。しかしアメリカに守られることは必要である。だとしたらどうすればいいのだ。

米軍の諸君には基地から外に出ることを禁止しようではないか。なぜその提案ができない。公務としての基地間移動は地位協定でも認められている。それでいいではないか。公務以外は基地の中で生存してもらおう。その提案をできないのは、右翼も左翼も、日本国政府もおかしい。安全保障条約/地位協定によって、施設及び区域を提供する義務が生じているのであって、カレラを我が国で勝手気ままに活動していいと取り決めているわけではないだろう。

そうはいっても、カレラとて人間だ。基地の外に出たいと思うのが人情というものだ。その際には、全員に安全保障条約/地位協定に基づく、米軍人・軍属及びその家族であるという目印をつけてもらう。ユニフォームでもいいし、目立つゼッケンの着用を義務付けるでもいい。さに、GPSの携帯を義務付けて、データを日本側の警察機構も追えるようにしようではないか。そうすれば、カレラにも基地外に外出できる自由を与えることもできる。

それらを提案できない、考慮できない、抜本的な解決策など、すべてがまやかしであり、嘘八百であったのはこれまでの経緯・歴史が物語っている。

そんなことはできないと、また綱紀粛正などという掛け声だけで終わるのだとしたら、この国の米(アメリカ)の壁は、国家レベル、国の統治のあり方の深いレベルにまで達していることを如実に示すだけである。

サンケイ新聞然り、ワサワサ蠢いている蛆虫のような言葉を吐く右翼気取りの諸君然り、米(アメリカ)の壁の前でレクリエーションを繰り返しているだけである。

小生は思う。右翼も左翼も、このアカとアメリカの壁を乗り越える時が近づいている。この壁を意識するあまりに陰謀論などと揶揄される論理にはまっている人々も。90年代に、ベルリンの壁が崩れ落ちたように、我が国でもこの壁を意識して乗り越えるときがきているのではないか。アカとアメリカを表す米という表記をつなげると赤米ではないか、めでたいときの赤飯にも通ずる、古来からの赤米にも通ずる。この壁を超えて、ほんとうの自立・独立・自治を手にしようではないか。

これ以上、小生たちの子弟が、陵辱される現実に耐えることはできない。耐えてはいけないと小生は本気で思う。そのために、やらなければいけないことをやるべきだろう。


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