宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

沖縄から岩国への手紙

Iwakuniban

(←画像は山口県の戸倉たか子さんの“とくらBlog”から拝借)

小生の生まれ育ったのは、沖縄島の北部、ヤンバルと呼ばれている田舎地帯のなかでの中核都市・名護市というところでございます。

沖縄というのは、みなさんあんまりご存じないかも知れませんが、米軍基地がたくさんあります。小生はもうじき五十歳にもなろうというおっさんですが、小生 が生まれる前から米軍基地はあったし、どうも小学校のころには米軍さんがどんどん勝手に基地を拡張していったらしいですが、あんまし物覚えがいいほうではないの でよく記憶にはありません。生れ落ちたときから基地の島という感じであります。

それでも、小生の生まれ育った名護市の市街地のほうには基地がなくて、ほんとうのことを言ったら基地の騒音被害に関してもあまり実感を感じてない市民のほうが大勢であります。小生もそうでありました。そういうことでいうと、艦載機などの騒音被害は、沖縄名護市の住民より岩国市民のみなさまのほうがよっぽど体験なされているといえます。

沖縄にたくさん集中しているこの米軍基地は、どれぐらい昔からあったものなのかよくわからないので、いろいろ調べてみたら、沖縄戦という戦争のあとからずっとじゃありませんか。沖縄戦の前はどうかというと、日本軍が少しばかりの基地を造っていたらしいのですが、あんまりたくさんじゃなかったようです。

沖縄戦ってみなさん、知っていますか。なんかね、日本とアメリカはかつて戦争をしたらしいんですよ。それのほんとうの末期に、日本本土に迫ってきたアメリ カ軍が上陸してきたのが沖縄で、日本は日本で本土防衛のために沖縄で食い止めるんだと必死に闘ったらしいんですね。こんな小さな島で、ほんとうになんとい うか、悲惨なことであります。

こんな小さな島で日本軍とアメリカ軍が殺し合いをしたばっかりに、沖縄の人々は四人に一人が死んだといいます。この四人に一人という人数も、日本政府がきちんと調べたわけではなく、琉球政府や地域の自治体が生き残った方々の証言や戦争から焼け残ったわずかばかりの資料などを集めて、苦労して調べ上げて推定している数字らしいです。

生き残った住民を「収容所」に隔離し、その間に、アメリカ軍は日本軍の基地を使うために直したり、新たな基地を造ったりして日本本土への攻撃準備をしていたらしい。そのときに造った基地のひとつが、宜野湾市のどまんなかにある普天間飛行場なんですね。収容所から出てきたら、土地も家も何もかもが、フェンスで囲われて基地になっていたんですから、当時の人々がどれほど困り果てたかは想像もできません。

アメリカと戦争した日本が、独立した主権国家と国際社会に認められるには、ヤクザの世界でも抗争を治めるために手打ち式をとりおこないます(映画からの知識です…念のためが、戦争した国々との手打ち式が必要なんですね。それがサンフランシスコ講和条約と呼ばれるやつで、その条約で沖縄は日本から切り離され米軍さんの支配下にされてしまったんですよ。

当時の米軍さんはそれはそれは厳しく酷くて、沖縄の人間が自治をするなど神話だと言ってくれちゃって、イノシシと間違えて畑仕事している人は撃ち殺すわ、道路を渡っている小学生は戦車で轢き殺すわ、そいでもってそんなことをする兵隊はお咎めなしでいつのまにか基地から本国に帰るわ、基地を拡張するのに地主や住民を銃剣で脅して好き勝手するわで、ほんとうに沖縄の人間には人権なんてなかったんですね。

こんな状況だから、沖縄の人は「日本国憲法」がある日本に帰属したいと願ったんですね。しかし「基地のない平和な島を」という沖縄の人々の願いは見事に裏切られて、米軍基地はそのままで施政権だけ日本に返還するという「本土復帰」なるものが1972年に行なわれたんですね。

小生は思うんですよ、普天間飛行場は、米軍が沖縄を支配しているときに、住民のみなさんから暴力的強権で取り上げほんとうに勝手に造った基地なんだから、無条件で返すべきなんじゃないですか。なんで日本政府は、そんなことを全部不問にして、沖縄に人々の反対や抵抗を押し潰して、唯一残ったといってもいい手付かずの美しい沿岸域を破壊してまで新しい基地を造って差し上げるんですか。

地政学的にとか、なんか難しい言い方で沖縄に米軍基地は必要なんだとおっしゃる方々も大勢いますが、以前は東西冷戦のためにという理由がたくさん喋られていたんですよ、それがなくなればまた新たな理由がつくられる。そんなバカバカしいおはなしに付き合っていられません。海兵隊がグアムに移転するのに、なんで海兵隊の新しい基地が必要になるの。そんなことを問うたら、またなんかもっともらしい理由が発明されるんだろうけど、もういいかげんにしてほしい。

小生の生れ落ちた沖縄は、日本国憲法のある日本に復帰したつもりだったのに、日本国憲法の上に日米安全保障条約のある日本に復帰していた。そうしてその日米安全保障条約も、極東条項などの地理的概念が流動化し、専守防衛自衛隊のみなさまの活動も米軍と共に広がって、いまや日米安全保障条約にも違反するような軍事同盟化が進められている。最近は、「日米安保」ってあまりいわなくなって、「日米同盟」っていうでしょう。名は体を表すというのは、ウソではないんですね。

ということで、普天間飛行場の返還のためだというもっともらしいウソで、老朽化した施設を廃棄し最新鋭の基地を造ろうとしているのが、小生の生まれ育った名護市なんですわ。

十年前に住民投票を行ない、政府や、市長さんや議員さんや土建屋の社長さんや、それはもうおそれおののくばかりの支配層の方々が「条件付賛成」を迫ってきたけど、市民は反対多数という結果で答えを出したんですね。それから市長選挙のたびに、やはりそれら支配層の方々が応援する人が当選しているけど、基地はまだ造られていません。

小生は思うんですが、これは沖縄の戦後史どころか未来史をも左右する大問題であり、おそらく基地建設などはできっこありません。普段はおとなしい沖縄の人間ですが、いざとなったら人柱にでもなって止める人々が出てくる。これはもう間違いありません。政府は早いところ手を引くべきだと思います。

それにしても、いま眼前にある大問題は岩国です。いま市長選挙の真っ最中ですが、岩国の有権者の方々はほんとうにたいへんな思いをさせられている。この市長選挙の結果いかんでは、艦載機など軍用機の数が一気に2倍以上の120機、米軍人も約4千人増加し1万人になる。政治的信条が保守系の方々にこそじっくりと考えてほしい。保守の矜持をみせてほしい。政府に対するイエスマンが「交渉」できると思いますか。一部の方々のあいだで回るオカネは引っ張ってくるかも知れない。しかし、岩国市と岩国市民を守るための「交渉」はできない。

井原さんにやらせるべきじゃないでしょうかね。岩国市と市民を守るための「交渉」を。彼なら、ぜったい理解と納得ができる出口を掴み出してきます。いまここで妥協したら、米国のいいなりの政府のいいなりで、岩国市の自治はそのいいなりの範囲内でだけ許される似非自治でしかなくなる。

名護市のような「建設」じゃないので、ハードルは低く、市長選挙で結果が出たらあとのスピードは速い。もうこれは火を見るよりも明らかだ。岩国市民のみなさまも十分味わっている艦載機の騒音被害が日常茶飯になる。残念ながらそれを止める「交渉」のステージは日本国にはない。その被害を金銭等で補償する「交渉」と、抗議という歌舞伎プレイをする自由があるだけだ。

岩国市が、基地と共にありながら、ここまで来たこと。自衛隊の方々も地域住民としてコミュニティを共につくりだしていること。それらすべてを小生は否定も批判もしません。しかし、問題はこれからのことです。岩国市の将来をどうするのかです。井原さんが国に言っていることはなにひとつおかしいことではない、逆に国のやり方や言っていることが乱暴でおかしいとみている全国の人は大勢います。もう少し岩国市民の方々が踏ん張れば、野火のように国民世論が広がり、岩国へ圧し掛かっている国の圧力への批判が大きくなります。大阪の次期府知事の発言も、そのおそれからいま岩国の声を摘んでおこうという焦りのあらわれです。踏ん張ってください、岩国。

そんなこんなを思いながら、常日頃、それなりの自治ではなくほんものの自治をつかみ出したいと願う小生は、遠く沖縄島から岩国の人々のご苦労に思いをはせている次第であります。

Iwakuniban

よそものに、市長選挙について口出しされて、あまり面白くない岩国市民のかたもいると思う。偉そうに都会の人間が、だったらそこに米軍基地持っていってよと、思わず心のどこかで叫びそうになるときもあるかもしれない。

あなたたちは「反対」と叫んで帰ればいいけど、「私たちは岩国で生きていくんだよ」と憤る気持ちも、わたしには痛いほどわかる。

そうなんだ、そこで生きていくのはあなたたちなんだ。

でも、だかこそ、小さな声でいわせてほしい。でも、だからこそ、抑えきれない言葉を、そっと置かせてほしい。

がんばって、負けないで、岩国。