宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

日々雑感-小声で見解表明

Frog民主党は、継続審議の方針をやめて参院ではテロ特措法は否決、衆院で再可決という流れは確定したようだ。結局、アメリカの戦争に参加する兵站行為に関する「憲法違反」の議論は深まらず、民主党のブレと稚拙さが際立っただけの感は否めない。

給油再開を実質的に阻止したり無化したりする可能性に賭ける意見もあるようだが、「立憲主義」が崩壊している根本問題の放置プレイも臨界点を迎えている。

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最近、ブログの世界では「陰謀論」と「似非科学」が話題になっていた。私はあんまり人様の意見交換に横から割って入る気にもなれず、傍観している。
傍観していて気になるのは、人の数ほどいろんな意見があることはいいことだとおもうが、基本的なところで重大な問題を抱えている「論」に対するナイーブな意見は、批判されて然るべきであり、批判に対して直情的に過剰反応するのは、「批判」という行為そのものに対して失礼であるのと、本人にとっても益するところは少ないということである。

《続き》で、そこいらへんについての私見をメモしておく。
それとこのメモは、このような話題でいたずらに他者を刺激したくなく、どこにもトラックバックをしないことにする。ネットの片隅でひっそりと行う、私の見解表明である。

下記のメモで言及している内容には、当該のブログ等を参照しないとわけわからないところもあるし、その意味では該当するブログやサイトにリンクを貼っておくべきかもしれない。
しかし、もう終息した話題もあるので、いたずらに関係者を刺激するのも不本意なので、トラックバックと同様に記事中にリンクも貼らないことにしました。あしからず。

(いちいち当該エントリーを探すのも手間だなという怠惰なココロもあります)

陰謀論」について

情報操作はいたるところにある。マスコミの報道も、権力者の発言も、額面どおりにナイーブに受け取っていられる世界じゃない。そういう意味では、世界は「陰謀」だらけである。疑ってかかるというのは、基本的な処世術である。

ユダヤ陰謀論などを持ちネタにしている職業陰謀論者たちが流布する「陰謀論」は、「真実を暴くんだ」という正義感あふれる人たちに受け入れられ、この数年間静かに拡大している。現在もその最中である。

「9.11」はテロ国家アメリカでの事件であり、「9.11陰謀論」はアメリカの覇権主義を嫌悪する正義感あふれる人たちを新規の顧客として広まる。「正義感あふれる人たち」は、潜在的には権力に対抗する陣営の一員であると信じている「左翼」にとっては、これは憂うべき事態であり、「左翼」からの「9.11陰謀論」への攻撃も強まる。攻撃を受けた「正義感あふれる人たち」は、攻撃を狭隘な精神と知性の持ち主からのものと断じ、防衛のような攻撃をする。悪循環は文字通り循環する。

権力者側が事実を隠蔽していたりする「陰謀」がないはずがない。沖縄返還に際して密約は無かったと言い張る日本政府や、オスプレイ配備に関して事実はないと強弁する日本政府。みえみえの事実だが無いと言い張る、これもまた「陰謀」である。こんなわかりやすい「陰謀」も珍しいが、9.11に関してアメリカはすべての情報を出してはいない。その意味では、「9.11陰謀論」が止むことはない。しかし、陰謀と陰謀論の間には大きな隔たりがある。その隔たりの中身を具体的にはいえない。なにしろ陰謀だからだ(ととりあえずややこしい論理展開からは逃げておく)。

「9.11陰謀論」は、ユダヤ陰謀論などの陰謀のセオリーを踏襲しており、ホロコーストはなかった(“言葉”はなかったなどの言語ゲームからはじめて存在を否定していく否定論者の常套レトリック)などの言説も散見できる。陰謀論は事実ではなく陰謀で成立している。陰謀という言葉が不適切なら、陰謀を信じる人たちがお好みの不明確な事実といい換えてもいい。しかし、いくつかの不明確な事実の存在を誇張し、そしていくつかのもっともらしい事実を散りばめて、全体を自らの結論付ける驚くべき「陰謀」にもっていく論のあり方は「陰謀」そのものでしかない。

陰謀論」は、その根幹に様々な問題を抱えているようだが、南京虐殺はなかった、沖縄における日本軍による住民殺害はなかった、現在ではそんな馬鹿げたことを信じる人々は少数だ(と私は信じている)が、そこに至る論理と同じ地平が「9.11陰謀論」にはある。唾棄すべき歴史修正主義がそこに、まともに鎮座ましましているのをみると、私は吐き気すら覚える。

疑ってかかるという基本的な処世術を身に付けていれば、この「陰謀論」をも疑ってかかるはずなのだが、あまりにも世界はアメリカの非道さが際立っているので、「正義感あふれる人たち」のストッパーが正常に機能しない。

私は、「正義感あふれる人たち」もいつか目を醒ますか、「陰謀論」など日常のなかで希釈され忘れてしまうだろうぐらいに思って傍観しているが、「正義感あふれる人たち」も逆の意味で人々は今は蒙昧だが、いつか「真実(≒陰謀)」に目を醒ますか、「真実(≒陰謀)」が露見して日常の中で共有されるだろう…などと思っているかもしれない。ほとんど宗教上の原理主義者の様相である。

私は「陰謀論」者のいう陰謀を検証し否定するための努力をしていない。私個人のことでいえば、する必要性も感じていない。いくつかの疑問があるが、なぜ、陰謀論者たちは検証してわかったことを基にして、裁判に訴えたり国連へ持ち込むなどの手続きをとらないのだろう。なぜ、旅客機に乗り合わせ死んだ人までいるのに、旅客機ではなくミサイルが突っ込んだといえるんだろう。陰謀論者にとって、そのように死んだ人たちは、実存を持つ人ではないのだろうか。

アメリカの「陰謀」や外交を批判するのに、「9.11陰謀論」「自作自演説」まで持ち出す必要性を私は感じない。その逆で、陰謀論が、アメリカに対する批判の効果を貶めるのではないかと懸念している。

こんなことは言っても、だれも聞いてはくれないだろうけど。「疑わしい、陰謀だ、真実を究明せよ」と騒ぎ立てる際に、9.11にたまたま航空機に乗っていた乗客のことを、突然愛する人と死別した人々がいたことを思い起こしてほしい。別にアメリカ的な「愛国心」を持てなどと私が言いたいわけではないことは自明だろう(最近は、そんなことすら断らないと邪推して断定されてしまう)。そうではなく、アメリカが酷い国だからといって、犠牲になったアメリカ国民の死は自業自得とはいえないということに思いを馳せて欲しいだけである。「正義感あふれる人たち」が、暴力の連鎖を断ち切ることを望んでいると信じたい。

似非科学」について

原子力爆弾を生み出した「科学」が万能で、絶対的なものであるとは思わない。人類は手にしてはならないものを手中におさめた。「反科学論」が提起した問題は、たかだか40年やそこいらで雲散霧消できない根源的な問いかけである。

似非科学は魅惑的である。ファンタジー性すらある。(ファンタジーでしかないという意見もあろうが、似非科学すべてにファンタジー性があるわけではない)
科学は権威を帯びている。反権威主義者には、似非科学のファンタジー性は魅惑的ですらあるが、しかし似非科学は科学の権威を騙る似て非なるものでしかなく、反権威主義とは相容れない。それこそ似て非なるものである。

科学の「権威」を騙る似非科学は、十分留意して排斥する必要がある。似非科学は、科学そのものへの人々の接し方までおかしくしてしまい、結局は「科学」の権威を利用する権力側を補完し社会変革の可能性を狭める役割に堕しかねない。その意味では「陰謀論」などのトンデモ説と社会的効果は同様である。

人間のやさしい言葉で水が美しい結晶を作るという「水の話」などは、すてきなオハナシだと私も笑うことはできる。目くじらたてる話でもないだろうと思う。それで水の商売している話も、騙されるほうが悪くないとはいえないと笑える。しかし、道徳の教科書にこの話が採用されているのだとしたら、ことは穏やかではない。良い言葉と悪い言葉の境界線をだれがどのように引くのか。ジェンダーに関わる問題もイデオロギーもそこに入り込んでくる。

アクセス数の多い某ブログで、この「水の話」に対する批判に端を発していろいろあったようである。コメント欄などを眺めてみたが、「批判」をすぐさま人格攻撃のように捉え燃えることは損をするだけである。ブログ主さんは気付いているようだが、回りが炊きつけるのでしばらく燃えていた。こういうのを「炎上」というのだろうか。
もう、鎮火したようだが、「批判」に対しては一呼吸置いて反応するのが、リアルでもネット上でも必要だなと傍観しながら思った。それと炊きつけてくるギャラリーにも、火の用心である。

中学時代に懸命にコピーしていた、ディープパープルの“スモーク・アンド・ウォーター”を思い出した(笑)。

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まぁ、そんなこんなといろいろあるが、名護市への新基地建設問題も、月末には措置協議会が開催され動く。防衛省はただただスケジュール通りに調査強行を続行している。名護市では、民意と乖離したままの行政執行が酷い傷口を曝け出しているが、岩国の市長選挙がどうなるかによって、「地方自治」のあるべき姿は大いに変わる。
テロ特措法の動向も含めて、この国は日米関係に関わることでは民意などあってなきの如しである。
共闘を前に共倒しているのではない、本気で共闘していないだけだろうそれは(笑)。あまりにも主観的独善的なふるまいで、TB(※)を送りつけ削除すると難癖付けるコワイおじさんがいては、共闘どころではない(笑)。

トラックバックを送るのは関係する(つもりになっている)記事を書いた側の自由だが、削除するのも送られた側の自由でしょ。それって、ヘタレとか人格に対する誹謗中傷を甘受しなければならないほどの行為なの?ネットの世界に人権は無いの?私は基本的なところで、ネットの世界のことがわからない。…TBの存在理由がわからないとする人たちの気持ちがわかる。私は、関係する記事を書いたり、参照した記事に敬意を表するためにトラックバックは送りたいので利用しているが…

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