みやぎブログ

演劇・戯れ・政治

新しい天使(Angelus Novus)

気分だけでも休日モードを味わおうと、YouTubeで適当な単語で検索してビデオ鑑賞。
ブレヒト&アイスラー、クルト・ヴァイル、1930年代以降を中心になかなか面白い旅ができました。
今日は、ベンヤミンのテキストを素材にした新しい天使【Angelus Novus】の映像を三つ紹介します。

Angelus Novus

わたしの翼は飛びたつ用意ができている、
わたしは帰れれば帰りたい、
たとえ生涯のあいだ、ここにいようと
わたしは幸福になれぬだろう。

ゲルンハルト・ショーレム『天使のあいさつ』

歴史哲学テーゼ

Angelus

「新しい天使」と題されているクレーの絵がある。それにはひとりの天使が描かれており、天使は、かれが凝視している何ものかから、いまにも遠ざかろうとしているところのように見える。かれの眼は大きく見ひらかれていて、口はひらき、翼は拡げられている。歴史の天使はこのような様子であるに違いない。かれは顔を過去に向けている。ぼくらであれば事件の連鎖を眺めるところに、彼はただカタストローフのみを見る。そのカタストローフは、やすみなく廃墟の上に廃墟を積みかさねて、それを彼の鼻っさきへとつきつけてくるのだ。たぶんかれはそこに滞留して、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せあつめて組みたてていたのだろうが、しかし楽園から吹いてくる強風が彼の翼にはらまれるばかりか、その風のいきおいがはげしいので、かれはもう翼を閉じることができない。強風は天使を、かれが背中を向けている未来のほうへ、不可抗的に運んでゆく。その一方では、かれの眼前の廃墟の山が、天に届くばかりに高くなる。ぼくらが進歩と呼ぶものは、この強風なのだ。

ヴァルター・ベンヤミン『歴史哲学テーゼ』(野村修=訳)

--