宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

超えてゆけそれを

Img47325e50b9928仕事がやたら遅くなって、困っている。原稿を仕上げることが、かつて考えていたことに向き合って呻吟しているようで、まるで「遺書」を書くことに苦労しているような気がする。私は“死”までの間のどのへんにいるのだろうと考え出してしまう。

昨日、新基地建設の移設措置協議会が開催された。新聞報道等を読むかぎり、私が想定していた(アセス結果で沖合移動等を検討・協議することで合意)よりは、前段階どまりだったようだが、大枠は何も変わらない。名護市長は、宜野座村長に陸域飛行のことを言及されて恥辱ではないのだろうか。V字で合意した犯人が言及すべきことだろう。

《続き》は、移設措置協議会のことを報じる地元紙の記事紹介と、【本日の歌】は友人に贈る吉田拓郎の「人生を語らず」

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■アメとムチのアメは次回へ

「北部振興事業」は、新基地建設と完全にリンクした事業とされている。それ以前は、どんな性質の事業だったのか、それらが現在のような事業にされるのに、沖縄本島北部の首長たちがどのように関与したのかは、“なごなぐ雑記”では折にふれ執拗に書いてきたので、ここでは何も書かないが、「北部振興事業」の予算執行の凍結解除は、来月開催予定の次回協議会で決せられるようだ。

おそらく、これから事務レベルではそれに向けての防衛・内閣府名護市沖縄県の調整が進められていく。出口はひとつ、どれほどのレベルで合意し事業進捗を確実なものにするか。
お互い進めたいということではひとつなのだから、早晩合意をみる。名護市としては、埋立拡大に希望をつなげるレベル、政府としては多少時間をかけても波風立たずその希望が摘めるレベル。

下記は、そこいらへんの事情を報じる沖縄タイムスの記事。リンクはいつか切れるだろうから、小さな字で読み辛いけど記録のため記事も貼り付けておく。

「普天間」移設 国、北部振興再開を検討沖縄タイムス

【東京】米軍普天間飛行場の移設に関する協議会が約十カ月ぶりに再開されたことを受け、政府は七日、予算が凍結されている北部振興事業の執行再開について、十二月中旬に予定されている次回の第五回協議会で判断する方針を固めた。同事業をめぐって昨年の第一回協議会で承認された「普天間飛行場の移設に係る協議が円滑に進む状況の下、着実に実行する」との配分条件を満たすかどうかが今後の焦点となる。

協議会が再開されたものの、政府と沖縄側には、普天間代替施設案(V字案)の沖合移動をめぐってなお隔たりがあり、「協議が円滑」とはいえない状況だ。

予算を所管する内閣府は「次回協議会で何らかの歩み寄りがあれば執行の条件を満たせる」(幹部)と期待感をにじませる。一方、防衛省は「県が合理的な根拠のない沖合修正を求め続けるなら、予算執行はおろか、二〇〇八年度分の予算計上も難しい」(幹部)と厳しい姿勢。同問題を取り仕切る内閣官房の対応が注目される。

七日の協議会で、仲井真弘多知事が北部振興事業の凍結に不快感をあらわにしたことを受け、町村信孝官房長官は、次回協議会までに予算執行のめどが付くよう、環境整備を急ぐ考えを示した。

仲井真知事は沖合移動については「環境影響評価(アセスメント)前の修正」を求めるスタンスから、「アセス内の修正」へと柔軟姿勢に転じた。

しかし、「融通むげに沖合に持っていく性格のものではない」(町村官房長官)、「(移設協議は沖合移動を)前提としない」(石破茂防衛相)などと厳しい姿勢を崩しておらず、先行きは依然不透明だ。

■狐と狸の化かしあいの協議会

守屋前次官が退場したことで、何もかもうまくいくかのごとく仲井真沖縄県知事等が考えているとは到底思えないが、少なくとも彼らが楽になったのは事実だろう。守屋前次官は、沖縄側の要求を、表向きの理由とは裏腹の利権絡みの要求だと突き放していた。いわく、「基地被害を受ける人と、国のカネで儲かる人は違う」というやつである。首長たちの要求は、前者のフリをして後者の要求でしかない。

しかし、それは守屋氏だけが知っていたことだろうか。そんなことはない、政府は政治家はみんな知っている。そこを見透かした上で、お互いの利益を確保しつつ落とし所を探る。忌憚の無い意見交換という新しい領域が始まったようでいて、内実は古い体質のままの狐と狸の化かしあいが行なわれているだけである。

今までの協議会は、事前に事務レベルでの調整が徹底していて、議事録が開催前に出来上がっているほどだった。協議会は官僚が調整し、シナリオを書いた儀式でしかなかった。名護市沖縄県の職員が、霞ヶ関や市ヶ谷の官僚と勝負できるわけはなく、沖縄側の首長たちは不満をたまらせ、それが沖縄側は「東京で話すことと地元に戻って喋ることが違う」という守屋氏らの揶揄にもつながっていく。

通産官僚でもあったらしい自信家の仲井真県知事は、そのような事務調整を取っ払って政府と緊張感を持って交渉していくつもりのようだが、「米軍再編」を評価し「新基地建設を早期に完了」は政府と一致しているのだから、仮構された対決姿勢や対等幻想の化けの皮は最初からはがれている。

下記は、琉球新報の県側の様子などを伝える記事。これも同じように記録のため、リンク先の記事内容をコピーして貼り付けておく。

特集/透視鏡
移設協、県の沖合修正要求 官邸主導、鮮明に琉球新報

10カ月ぶりに再開された7日の普天間移設措置協議会は大きな進展はなかったものの、主導権を握っていた防衛省が後方に退き、官邸主導が鮮明になった。防衛サイドの意思が色濃く反映していた従来の協議の在り方に不満を示した仲井真弘多知事の要望も踏まえ、協議会は自由に討論できる形式に。政府への厳しい批判が飛び出すなど忌憚(きたん)のない意見がかわされた。防衛省のかたくなな態度が鳴りを潜めた背景には、普天間移設の指揮を執り、沖合修正に反対していた守屋武昌事務次官の退任を指摘する声もある。

「北部振興策や米軍再編交付金の凍結。(代替施設の事前調査への)自衛艦派遣はいかがなものか」。仲井真知事の怒りを含んだ声をぶつけられた石破茂防衛相は何も答えず、下をうつむいていた。防衛省が沖縄側の要求をはね返す印象が強かった協議会での形勢逆転を、象徴的に表した場面だった。

■様変わり

「今回は『顔合わせ』が目的。これからが始まりだ」(内閣府幹部)。「大きな進展はない」(防衛省幹部)。普天間移設作業の進ちょくは望めないとの見方が強かった今回の協議会。しかし、防衛省と沖縄担当相の共同主宰から官房長官主宰になったことで、協議会の様相は一変した。
参加者の前に広げられた資料。そこには閣僚発言は基本的な内容が記されていたが、仲井真知事の発言部分は空白のままだった。これまでの協議会では、防衛省の担当者が県や名護市などの幹部と接触を求め、発言内容を事前に擦り合わせるのが通常だった。しかし、6日夜、両者が顔を合わせる場面はなかった。
「いつもは防衛省からお呼びが掛かるけど、今回はないね」。ある地元出席者の一人が協議会の象徴的な変化を口にした。

■「いやな人」

「いやな人もいなくなった。落ち着いて話ができる」。協議会の前、仲井真知事は周囲に心情を漏らしていた。「いやな人」とは8月末、防衛省を退任した守屋武昌前防衛事務次官その人だ。
政府案の修正要求に耳を貸さず、県にとって障壁に映った守屋氏の「退場」は、政府案推進を基調とした小泉、安倍両政権から福田現政権に移行したことも合わせ、その意味合いは小さくない。
関係者によると、仲井真知事の守屋評は「難しい人」というもの。今後の展望について「(守屋氏がいなくなって)今後につないでいける」と期待感をにじませていた。
守屋氏退任に加え、インド洋での海上自衛隊の燃料補給活動をめぐる不祥事や守屋前事務次官自衛隊員倫理規程違反など、防衛省絡みの問題が噴出。石破防衛相を始め、首脳や幹部が国会対応に拘束される時間が多く、「なかなかほかの問題まで手が回らない」(防衛省関係者)状態を指摘する見方もあった。
ある政府関係者は「今回の協議会は防衛省にとってはほとんど利益はない。守屋前次官がいれば開催自体、なかっただろう」とつぶやいた。
福田康夫首相は7日夜、官邸で記者団に「納得するまでお互いに、よく話し合いを続けていくことが大事だ」と述べるにとどまった。
(宮城久緒)

今回の移設措置協議会は、訪米する福田首相のお話のネタとして開催された。アメリカ様になにかひとつでも良さげな話をするためである。

情けないバカげた話である。どうやったら、ここを超えて行けるのか。暗中模索、手探りの中、旅は続く。

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【本日の歌】

人生を語らず
作詞:作曲=吉田拓郎

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昨年、県知事選挙の投開票日(11.18)に私は友人と、宜野湾コンベンションセンターにいた。

吉田拓郎の「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とタイトルを付されたコンサートを聴きにいったのだ。

友人は中学・高校を共に過ごした仲間だ。高校二年のときに「風呂入らない勝負」をして、一ヶ月近くかけて私が勝ったことが忘れられない。思いっきりバカで楽しかった。

高校のときから、パチンコもしたタバコもした酒も飲んだ。授業ばっくれて映画も観にいった、バイクでヤンバル一周もした。友人とは、ケンカとセックスと勉強以外は、いろいろ楽しんだ。

今から十数年前、亡くなった前市長(当時は市の企画部長だった)の岸本建男さんに呼び出されて一緒に飲んだときに、たまたま友人も一緒だったので誘って一緒に行った。ラグビーの話になり、建男さんが友人はラグビーに詳しいと満面の笑顔で感心していたのを思い出す。まんざらでもなさそうな友人は、大きな体で泰然と酒を飲んでいた。うれしかった。

48歳は若すぎるという人もいる。私もそう思う。もっと一緒に年を重ねて、いろんな話をして笑いたかった。友人は透析を受けながら、近年は酒もタバコもやめて、タバコの煙が体に障ると好きなパチンコにも行かず、しっかりと養生していた。私たちには突然の悲報だったが、仕事帰りに妹婿の事務所まで運転してたどりついた友人が、最後の最後に気力を振り絞っただろうことを想うと、立派だったと素直に想う。尊敬する。
一緒に、コンサートを聴きに行けたのは楽しかった。吉田拓郎を聴くたびに、時々はお前のことを思い出すだろう。ありがとう…

さらば友よ。
また、まじゅんや。

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大好きな友だちの金城和春が逝って、初七日も過ぎて、彼を乗せていない地球は回り続けている。

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