宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

日米安保とは-沖縄の位置

Jusa_gaiyo01衆院の圧倒的多数の議席を背景に、強行採決三昧を繰り返し、選挙で負けると、官邸篭城、あげくは国会での代表質問直前に辞任宣言し病院に逃げる。デタラメな自民党政治を継続するために顔(総裁)の挿げ替えが図られる。自民党の事情で国会はフリーズし、様々なところで無駄に税金が漏れる。それでいて増税の議論がはじまる。自民党国会議員には、今国会における歳費等を全額国庫に返済していただきたい。「いいかげんにしろ」である。どんな小額だろうと、納税している(タバコの代金はほとんどが税である)という一点で、私たちは怒らなければならない。盗人猛々しい国会議員ども。

マスメディアの喧騒を離れて、仕事に没頭している。あまり他の人のブログを読みに行くこともできない。そんななかで、目立たないが気になった新聞記事ひとつ。すこしメモを書き記しておく。

沖縄返還、佐藤・マクナマラ会談で初確約…外交文書で判明
(読売新聞=2007.9.15)

読売の記事は、外務省が14日に公開した外交文書から、アメリカが日本に沖縄返還を公式に伝えた模様が確認できたと伝える。

マクナマラ国防長官は佐藤首相に下記のように語る。

「問題は返還にあるのではなく、米国の基地にある」と強調したうえで、「日本が、核の持ち込みを許すのが困難なのは知っているが、自分の安全保障のためと納得すれば合意できよう。核、琉球、安保体制は相関関係にある」とも語り、沖縄返還後の核持ち込みに理解を求めた。

現在でも一貫して続く、米国の基本姿勢がよくわかる発言である。対米追随が骨の髄まで染みている日本国政府だから、おのずと、日本国政府の「安全保障」政策がどのようになっているかもよくわかる。
沖縄は日米両国が結託して、日本国民の金を使い米軍基地の島として維持されているのである。

私は、「基地か経済か」という選択を強いられ続ける沖縄の選挙事情について、最近のエントリーで触れたが、その背景にあるのは、このような日米の「安全保障」政策である。

だれが自民党の総裁になろうと、根本はなにも変わらない。

沖縄を日米安保に捧げることで、日本国民は「自分の安全保障のためと納得」できているのだろうか。われわれは冷静に判断しなければならない。佐藤首相がジョンソン大統領に対して、核攻撃の際にも日本を守っていただきたい旨お願いしたら、ジョンソン大統領いわく

「私が大統領である限り約束は守る」

である。日米安保とは、日本国にとっては米国への基地提供義務が課せられた条約だが、米国にとって日本を守るかどうかは大統領の考え方次第である。

日米安保とはなんだろうか。

ぜんぶで10条の条文には、沖縄に米軍基地を置き続け自由使用させるとは書かれていない。

米国には、日本国が侵略を受けても米軍は出動する義務はないという日米安保条約の解釈がある。

日米安保は空気のごとく永遠に続くものではない。

どちらか一方の国が、条約を終了させる気になったら、相手国に通告して1年で破棄できる(第10条)。

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沖縄で生きる私たちに「基地か経済か」という選択が強いられるように、安保の問題について日本国で生きる私たちが考えようとするとき、選択が、思考の枠組みが、地平が、強いられていないだろうか。憲法の問題についても然り。

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沖縄返還、佐藤・マクナマラ会談で初確約…外交文書で判明

1967年11月に訪米した当時の佐藤栄作首相が、ジョンソン政権のマクナマラ国防長官と会談した際、国防長官が沖縄について「これらの諸島はいずれ返還されることとなっている」と述べ、米政府として初めて沖縄返還を公式に確約していたことが、外務省が14日に追加公開した外交文書で裏づけられた。

米国が沖縄返還の方針を日本に伝えた歴史的瞬間が、公式文書で確認された。

首相と国防長官の会談は11月14日。文書によると、国防長官は「問題は返還にあるのではなく、米国の基地にある」と強調したうえで、「日本が、核の持ち込みを許すのが困難なのは知っているが、自分の安全保障のためと納得すれば合意できよう。核、琉球、安保体制は相関関係にある」とも語り、沖縄返還後の核持ち込みに理解を求めた。

佐藤首相は「今の状態で論議するのは早い」と述べ、核や基地の自由使用についての議論を避けた。

国防長官の発言は、沖縄の「核抜き本土並み」返還に合意した69年のニクソン大統領との首脳会談に至るまで、沖縄の核を巡って続いた困難な交渉の「序章」となった格好だ。

また、文書によると、佐藤首相は67年11月15日の日米首脳会談で、中国が同年6月に初の水爆実験を行ったことを踏まえ、ジョンソン大統領に「前回訪米の際に大統領は、日本に対するいかなる攻撃に対しても守ると約束された。約束が、我が国に対する核攻撃に対しても同じように適用されることを期待したい」と、中国による核攻撃が行われた場合の防衛を要請。大統領は「私が大統領である限り約束は守る」と応じた。

14日に公開されたのは、1967年、当時の佐藤首相が訪米した際のジョンソン大統領、ラスク国務長官らとの会談録など6文書。
(2007年9月15日1時50分  読売新聞)