宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

拒否力と交渉力

Assessnagare県知事&名護市長が受け取りを「保留」しているアセス方法書。

私は、受け取り「保留」などというわけのわからないやりかたに、沖縄側行政が袋小路に入り込んだねずみのように混乱している様を感じる。批判的勢力であるはずの革新政党や野党勢力にも状況をしっかり見えている人間がいない。幾重にも袋小路状況のよう。

県知事も名護市長も、政府と「交渉」をしているつもりのようだが、拒否する力のないやつと、なんでわざわざ交渉などする。子どもが考えてもわかる理屈だ。

受け取り「拒否」なら、政府はガチンコで行くか「交渉」して着陸地点を探すか判断せざる得ないが、「保留」はどうぞご自由にである。

沖縄行政の言い分としては「保留」は政府との信頼関係の蜘蛛の糸のつもりかもしれないが、名護市も県も反対派の威を借る国庫に寄生したパラサイトでしかない。

建設手続きは流れさせていただく。「沖縄は意見ないんですね」で終わりである。

名護市長は、市議会において「基本合意が破られても唯々諾々と受け入れていくのか、市民の生命と財産を守る立場から約束が履行されないようなら撤回することがありうると市民に約束するのか」と問われても、

これまで防衛庁長官といろいろ話してまいりましたが、お互いにしっかりと合意したところは守っていただくということは再三言っておりますので、守っていただくようにやっていこうと思っております。
(2006年6月27日)

決して名護市長が受け入れを撤回することはありえない。合意した時点ですべては終わっている。あとは「措置」されるだけである。

政府と名護市長の基本合意は、すでに閣議決定のありようにおいて破られている。
こんなふうに対処されても、唯々諾々と受け入れだけは固持し続けるから、名護市長は完全に政府に足元をみられている。

こんな相手とまともに「交渉」などするだろうか。
実のところ、いま名護市が主張していることは、政府と地方公共団体が行なう「交渉」なのだろうか。名護市の埋立て拡大要求は、「地元からの強い要望」を根拠にしてきたが、その地元の強い要望は公式には見えず、さらにそんな要望をしないで進めてほしいとまでいう団体も出てきているのである。

名護市の要求は、明らかに埋立て拡大による利権の底上げである。だれの利権か。
防衛予算は莫大な金額であり、防衛予算にまつわる利権構造と腐敗は広く根深く、地検が手を入れだす話もある。

沖縄側と政府の膠着状態には、この利権争いが深く関わっているだろうことは想像できる。

沖縄の地元メディアの論調でときどき散見される、住民生活を守るためにせめてもの主張をしている沖縄と、それを一顧だにしない酷い政府という構図は、ここでは到底成り立たない。であるから政府は強気で、大臣も名護市の埋立て拡大要求に対して「合理的説明がつかない」と言ってのけるのである。

選挙で選ばれた首長や議員が代弁(representation)できる「地元の声」などない。
人々は複雑な社会環境におかれ、錯綜した意識をもって生きている。
政策意思決定としての住民投票では「反対」するが、首長選挙では政府と協調する人物を選び出す。これをねじれや矛盾と捉えるのは簡単だが、そう仕向ける社会構造をつくりだす権力の問題を捉え返し批判的に脱構築することは容易くない。

拒否力のない名護市沖縄県に、政府との交渉力など存在し得ないことはわかっている。
「拒否」ではなく「保留」というレトリックでどうにかなると思っているところに、沖縄側の錯覚と限界が露呈している。

名護市沖縄県が政府に対して交渉力を発揮できると錯覚しているのは、反対する人々の存在があるからなのだが、その反対する人々への影響力など持ち合わせていない名護市長沖縄県知事に政府が交渉力を認めるわけはない。

逆に言えば、反対している人々へ名護市として主体的関与を行なうことで、交渉力を持つことはできるかもしれない。…これ以上、いまここで考えることはやめよう。パンドラの箱からなにが出てきても驚かない。

どうも、自公政府も終焉を迎えつつあるような感じだが、自公協力でここまできた沖縄の保守行政も、先行きが見通せなくなってきた。

12月上旬にも知事意見期限 普天間アセス方法書琉球新報=07.0906)