宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

石川真生写真展はじまる

8292森海くんの結核の予防注射(BCG)を受けに南風原の保健所まで行った。先月末か今月頭に名護で行なわれたときは、咳が出ていて受けられなかったのだ。

保健所に行く前に、西原のおもちゃ屋さんに寄って、森海が保育園でお気に入りという木でできた玩具を買った。

保健所で注射を受けた後、那覇市のパレットくもじに向かった。

石川真生さんの写真展が、昨日からパレットくもじのギャラリーで開催されている。

「開かれる扉」というタイトルのついた写真展は、真生さんが撮り続けてきた写真の中から天野太郎(横浜美術館・主席学芸員)というキュレーターの方が選んだ写真で構成されている。

80年代から昨年までの写真で構成されているという。撮影場所は、沖縄は辺野古宜野湾や金武や港湾や様々。海外は韓国・北朝鮮・アメリカ(だったと思う、もっと違う国もあったかもしれない)。

被写体はほとんど「人」である。
それもあまり偉そうな人ではない。社会の底辺を生きる人たちなどと言ったら、失礼千万(笑)、みんな庶民なんだと思う。生きている「人」である。

98年の市長選挙の結果が出たときの、勝利した陣営の事務所の外での賑わいを撮った写真が印象的だった。夜の闇を街灯や屋内の明かりがところどころ照らしている。のぼりがはためいている。街灯に照らされてできる人々の黒い影と、浮かび上がる喜んだ顔や、酔ってるのだろう興奮しているそぶりの影。

時代は動く。時は容赦もなく進む。「人」は生きている。

8291 いくつもの国での撮影が混在しているにもかかわらず、そこに写りこんでいるのは「人」だった。権力を持つ「人」ではなく、権力により翻弄される人。したたかに生きる人。祈るように前をみつめる人。銃の解体点検をする人。殺され骨になった人。それを掘り起こす人々。

石川真生さんは写真家だった。
私はずっと運動の現場に顔を出す、権力があまり好きじゃないだろう歯に衣着せぬ発言をするイナグシージャぐらいに思っていた時期があった。
私もまた権威や権力は大嫌いなお兄ちゃんだったが、私は残念ながら男だったために、前に出てどうにか終わらせるためにもがかなければならなかった。
私のことをあまり好ましく思っていなかった(いまでもそうかもしれない:)だろう真生さんの「人」をみるまなざしを、労組や革新という権力と一線を画し、生活者であり家族を支える立場である土建屋のおっさんたちを人間的な共感と批判で眺めるまなざしを、市民投票の頃から私は好きだった。しかし私はそんなこと言ってられる立場じゃないと、がむしゃらにギリギリ自らを追い詰めていた。写真をみてそんなことを想い出していた。

私たちは「人」として、通じ合える言葉を喪失してずいぶんになる。
言葉はまだない。扉は開かれるのを待っている。
扉を開く鍵を発明/発見しなければならない。

沖縄本島に住んでいる方は、ぜひ足を運んで、石川真生の「写真」の前に立ってみてください。パレットくもじの那覇市民ギャラリーで9月2日、日曜日まで開催しています。入場無料。

石川真生写真展(なごなぐ雑記8.5)

石川真生写真展によせて―天野太郎
(タイムス掲載原稿…まおの勝手におしゃべり8.24)

今開く新たな扉--石川真生写真展に寄せて 中里智英子
琉球新報掲載原稿…まおの勝手におしゃべり8.27)