宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

「誰が首相に相応しいか」問うたのはアベシンゾー、あなただ。

Abeduck_2アベシンゾーはまちがいなく発言した。

「私と、小沢さんのどちらが首相にふさわしいかということについても、国民の考えを聞く選挙だ」

もちろん参院選挙が大統領選挙でないのは、私は百も承知だ。しかし、国民の大多数は、為政者の発言を真摯に聞き、その答えを出す。アベシンゾーが首相に相応しいかどうか。

仲良し官邸団のメンバーが、どんなたわけた言い訳をしても、「権力の頂点にいる」と国会の場で自画自賛するアベシンゾーが、野党第一党の党首との公開討論において衆目の前で吐いた言葉は、映像に記録され人々に記憶されている。

ザ・のじじズムが喝破するように「皆様の声を国政に反映させていかなければいけない(という)決意を新たにしている」という選挙戦におけるアベ自身の訴えは、選挙結果如何によって退陣するという宣言でしかない。そうでなければ、主権者の声は永遠に国政に反映されない。選挙で大敗してなお政権に居座ることは憲法違反(言い過ぎ:)ですらある。アベシンゾーには選挙結果を真摯に受けとめ、速やかに退場するしか道はない。

以下、去り行くアベシンゾーの語録をみてみる。

「侵略戦争の定義は定かでない。政府が歴史の裁判官になって単純に白黒つけるのは適切でない」(衆院予算委)

自国の行なった行為を、政府が「侵略戦争」かどうか判断することが適切でないということは、どういうことか。あまりにも愚かな発言である。ネトウヨ自由主義自虐史観の連中が自らの似非プライドのために、大日本帝国のアジア各国への侵略を列強帝国からの解放のためと言い張るのと寸分たがわない。未来志向で近隣諸国及び諸外国と外交を進めるためには、お金にものをいわせるだけでなく、反省すべきを真摯に反省しなければならない。このような政治感覚で国政の舵を握るのはあまりにも稚拙・愚かだ。

「国のために死ぬことを宿命づけられた特攻隊の若者たちは、敵艦にむかって何を思い、なんといって、散っていったのだろうか。(略)死を目前にした瞬間、愛しい人のことを想いつつも、日本という国の悠久の歴史が続くことを願ったのである」(『美しい国へ』)

宿命づけられた若者たちのことを想うのなら、そのように宿命づけた政治を国家のあり方を徹底的に反省し、違う方途を違う国政の運営を追及しなければならない。それが、政治に関るものの最大最低限の資質であり倫理である。日本という国民国家は悠久の歴史の連続線の中にはない。民主主義を選択した国民国家・日本は戦後始まったばかりだ。それまでは天皇を元首とする帝国でしかない。それ以前は、士農工商封建社会であり国家の体をどのように成していたのかすら曖昧である。アベシンゾーは、国家観そのものも硬直しあまりにもアナクロニズム

「現憲法の前文は何回読んでも、敗戦国としての連合国に対する詫び証文でしかない」(『安倍晋三対論集』)

国家主義者たちは、国家から自由になれない。憲法前文は、「政府の行為」によって再び戦争の惨禍が起こることないよう決意し、主権が国民にあることを宣言している。誰が宣言している。国民だ、国家ではない。憲法は、主権者である国民からの、「(国家)政府の行為」に対する命令である。「(国家)政府の行為」としての戦争は、国民を守らなかったということを、沖縄の住民は幾多の犠牲の上で経験している。国家から自由になれない国家主義者たちは、憲法前文を連合国(戦勝国)への「侘び証文」と自虐的に捉えるのではなく、幾多の犠牲を払った国民から政府への「命令書」としての側面をもっと自覚すべきである。アベシンゾーは、極右イデオロギーの持ち主なのだろうが、政治家としての寛容さと懐の深さ・知力が足りない。

「私は権力の頂点にいる」

世襲議員であり、父が果たせなかった総理大臣の椅子を若くして手に入れたことに対する喜びを隠し切れないのだろう。あまりにも幼稚な発言である。このような発言を受け、アベシンゾーの総理大臣としての能力・資質を疑い軽蔑した国民は少なくないだろう。

「大変残念だ。慙愧に堪えない」

大臣を死に追い込み、その事実に直面してこのような言葉を、カメラ目線で発するのはどういうことだろう。私には理解できない。任命権者としての自分を恥じているのか、かばいつづけ結果的に追い込んだ自分を恥じているのか。その後の、フォローもなにもなかったが、メディアの様々な報道からは、単なる言い間違え、意味を知らずに言葉を使用したということになっている。異常なまでに場違いなカメラ目線と、発言の意味不明さは、アベシンゾーの持ち味になってしまった。空気読めないKYの本領が怒涛の如く発揮され続ける。

「ご本人の名誉のために申し上げておくが、『緑資源機構』に関して捜査当局が松岡農水相や関係者の取り調べを行っていたという事実もないし、これから取り調べを行う予定もないという発言があったと聞いている」

捜査当局の動向を又聞きして、このように軽はずみに発言してしまう。一国政府の首相として大いに資質に欠けるとしか言いようがない。

「法にのっとって、適切に処理している」

松岡利勝農水相伊吹文明文科相、赤城農水相、事務所費問題が勃発するたびに、同じ発言を繰り返し続けている。「政治とカネ」がこれほど注目を集める中で、このような発言を繰り返すことで、自分たちが立法府の議員として作ってきた法の不備や、その上にあぐらをかいていることの不満が、国民にマグマのように溜まり続けるということに気付かない。アベシンゾーのKYは致命的であり、これは自公の政治体質への疑惑・不満になる。

「改革実行力があるのは私たち自民党と、そして民主党であります」

お笑いである。ご愁傷様。

アベシンゾーは、あまりにも大きな力を持つには、あまりにも問題多く、あまりにも不適格な人物である。ネトウヨや極右の方々にはいい代表かもしれないが、国民全体の生命と尊厳を守る仕事には到底向かない。

自民党公明党はそんなこともわからない政党になっていることなのだろう。世も末である。

アベシンゾウには、自らの発言に従い、この参院選で、ご退場いただこう。

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政治家の資質や能力ではなく、論功行賞や気心の知れた仲間だけを集めたといわれる内閣・官邸は「お友だち内閣」「少年官邸団」などと揶揄されている。

この参院選で、自公が過半数割れしても、衆院に三分の二という勢力を有する自民党公明党は、アベシンゾーを続投させる可能性は捨てきれない。

私たちは、アベシンゾーを退陣に追い込んでいかなければならない。

それが、参院選で示された民意(もう自公過半数割れした気になっている…ちょっと不安)を「国政に反映」させることである。

場合によっては、衆院解散もあるかもしれない。どのような政局の混乱があっても、いまよりはましな政治が行なわれるように、それぞれの立場で、それぞれの位置から、発言し行動していこう。

参院選までは…と続けてきた、なごなぐ雑記の《退場!アベシンゾーキャンペーン》(えっ、そんなキャンペーンしてたの)は、ひとつの大きな山を越えて、また仕切りなおしていきます。

ということで、今晩は、選挙結果を伝える放送を観ながら、疲れを癒します。