宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

ウソツキは誰か?

昨日は上野から秋葉原に行き、頼まれていたDSのソフトを購入。人気商品らしく品切れの店もあった。少し時間があったので、生まれてはじめて、ネットカフェ(でいいのかな?)に入った。全室個室で、時間制。しばしネット難民について思いを巡らせながら、ネットで沖縄関係のニュースなどをあさる。

秋葉原から、友人の住む青山目指して総武線で信濃町。来るたんびに学会王国の様相を濃くしている。外苑からいちょう並木を抜けて、友人の家で昼御飯をごちそうになり、しばし歓談。友人の家に荷物を置かせてもらって、2時過ぎには打ち合わせ場所の新宿めざし歩き出す。

雨の中、青年会館やホープ軒の側を通り千駄ヶ谷駅を抜けて、代々木から新宿へと歩く。

編集のhさんとの打ち合わせは有意義だった。政府やマスコミによる「名づけ」そして「まことの名」について。民衆の側からも誤った「名づけ」はなされる。名とはなにか。言葉の大海へと不用意に漕ぎ出すことはおそろしい。

新宿で打ち合わせを終えて、青山から友人にも参加してもらい歌舞伎町の台湾料理店でしばし小宴。気の置けない友人たちとの久しぶりの放談は、とても楽しかった。

下記は、私が旅に出てからの沖縄のニュース。気になるので論評しておく。

枯れ葉剤使用 米「裏付け資料なし」琉球新報07.7.14)

琉球新報の記事によると、日本国の防衛施設庁と外務省にアメリカ側から「沖縄での枯葉剤使用を裏付ける資料はなかった」との回答があったらしい。

防衛施設庁の地引良幸次長は13日午後の定例記者会見での発言。

「(在日米軍司令部から)1961年から62年、またはそれ以降、北部訓練場で(枯れ葉剤が)使用、貯蔵されていたことを示す資料、証言や記録はないとの回答があった」

「今後も必要に応じて環境分科委員会をはじめとする日米合同委員会の枠組みを利用し、わが国の公共の安全に妥当な考慮が払われるように取り組む」

「(米側への照会以外の対応は、と問われ)それ以外に手法がないので、まずは米側に確認するのが第一だ」

7月10日に《OKINAWAでの枯れ葉剤散布》で私は書いた。

米軍関係部局は「ダイオキシン使用を確認する文書はない」と回答するだろう。日本政府が、それをそのままオーム返しに回答したからといって、元米兵がOKINAWAで猛毒ダイオキシンを浴びた事実をアメリカの退役軍人省が認定した事実は消えない。

想定をひとつもはずさないアメリカの回答と日本政府のオーム返しの対応。情けない。

新聞記者はこのような政府の言い分を垂れ流すだけではなく、私ごときが一読しただけでもわかるような問題点を、追及し明らかにしなければならないだろう。誰かがウソを言っている。私は無理難題を要求しているのではない。アメリカの退役軍人省が認定した事実が厳然とある。退役軍人省が、クレーマーと化した退役軍人におされて、ウソをついているのかもしれない…、私はその可能性を排除しない、とにかく事実を明らかにすべきだ。

私はまだ、新聞記者をジャーナリストだと思っているところがある。それは幻想なのかもしれない。彼ら彼女らは、メディア企業人でしかない。がしかし、私の友人の記者たちのなかには、ジャーナリストたらんとする者がいることを信じたい。

枯葉剤撒布は非人道的な戦争犯罪劣化ウラン弾も、地雷も、すべてが未来へと続く命の破壊だ。日本では過去の問題のようにされているが、それはぜんぶ現在進行形である。

いまだ深い傷跡――ベトナム枯葉剤被害者が米退役軍人らに訴え

6月10日、米国サンフランシスコで、ベトナム枯葉剤被害者らが米国退役軍人らを前に自らの状況を語った。

枯葉剤被害者の会Tran Xuan Thu会長は冒頭、「戦争終結から30年、だがいまだベトナムでは、数百万人が枯葉剤の影響で苦しんでいる。彼らは貧困層の中でも特に貧しく、哀れな人々の中で最も哀れだ。そして、自分の家族に影響が及ぶ姿を目にして、日々悲しみを受け入れねばならない」と話した。

米国化学薬品メーカーを相手取った訴えは2005年に棄却、長く困難な戦いになると見られている。だがThu会長の「正義が勝利をつかむ。莫大な利益を手にしている化学薬品メーカーは、責任を取り被害者に賠償すべき」との信念はゆるぎない。渡米団Merle Ratner代表も同様だ。「正義は必ず勝つ。30年前の戦いに勝利したベトナム人が、忍耐強さと強い決心を持ち結束すれば、必ず勝利を手にできる」。

「私も退役軍人。体の一部はなくなりました。私は、あの化学薬品が体にどんな影響を与えるのかを証明する生き証人」とDong Nai省に住むNguyen Thi Hongさんが話すと、会場は静まり返った。

ハイフォン市のNguyen Van Quyさんは退役から20キロも体重が落ち、現在は37キロ、その衰弱した体はガンに蝕まれている。彼の最初の子供は奇形児として生まれ、生後すぐに死んだ。次に生まれた息子は現在20歳になるが、麻痺があり話すことができない。18歳の娘も知的障害聴覚障害を持つ。

Quyさんは、「治療費を捻出するため家も売った。言いたいことは、あの物質が毒であるということ。我々とともに薬品メーカーが補償責任と自らの過ちを認めるよう協力してほしい」と訴えた。

戦地に赴いた人だけが影響を受けるものではない。軍で料理長をしていた父親を持つNguyen Muoiさん(1983年生)も生き証人のひとりだ。16歳になったころ、背中に痛みを感じ、2003年に医師が脊柱に突起があることを発見、その後の調べで枯葉剤の影響であることがわかった。Muoiさんの父親も、毒素の影響で胃の3分の2を切除した。

Thua Thien-Hue省で林業を営むVo Thanh Haiさんは、戦時に枯葉剤で破壊された森林の再生をしている。彼は息子が2000年に骨のガンと診断されるまで、自身が枯葉剤の影響を受けていることを知らなかった。残る2人の子供も心臓病に侵されている。Haiさん本人もその後、脾臓のガンであることがわかった。

被った痛みに肌の色の隔たりはない。『平和のための退役軍人Veterans for Peace(VFP)』代表Paul Coxさんは、「私も戦争に参加した。戦争の証人として痛みを受け入れねばならない」と話す。

退役軍人で教師のRon Schmidtさんも、「私の生徒がMuoiさんのような痛みを背負うことを思うだけで胸が痛む。裁判で米国政府に訴えが通じるよう願ってやまない」と話した。

VFPの広報担当Bill Schwalbさんは怒りに満ちた表情で、「私が幼少時代を過ごしたミッドランドにはDow Chemical(ベトナム戦争時の化学薬品供給で最も利益を上げたといわれる会社)があり、住民が影響を受けた。これは我々の戦いでもある」と訴えた。

枯葉剤被害者に対する補償が認められるまでには、まだまだ長い道程が続くだろう。だが彼らには、ベトナム戦争に参加した人たちを含め、米国民の大きなサポートがある。 (Tuoi Tre)

(2007/06/15 08:23更新)

戦争を行う国家とはなにものなのか。小池百合子が自らの節操ない渡り鳥人生を肯定し豪語してやまない安全保障観とはなにか。

いくつもの偽りの「名」に囲まれ、「まことの名」をどのようにしたら、私たちは手繰り寄せることができるのだろうか。

一日二日、東京を放浪しながら、人の多さに紛れこみつつ、沈黙について黙考する。