宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

キューマ発言は「失言」ではない

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沖縄は夏。
光がまぶしい。
空の青が青々として雲が白くまぶしい。

キューマ大臣の「しょうがない」発言は、どんなに言葉を弄されても、許しちゃいけない。

今朝のテレビ番組で彼は「原爆投下そのものは許せない」とかのたまったらしい。

政治家の言葉は、小泉で破壊され、すでに日本語としての体を成していない気がする。日本語のなにを知っているのかと厳密に問われれば、返答に窮すところもあるが、意味がわからない言葉には、意味がわからないというしかない。そしてそれが私の母語とする日本語なんだとしたら、私の喪失感は底なしで途方に暮れる。

いまならまだまにあうかどうかは私にはわからない。
しかし、このようなことを許していては、もうなんの歯止めもなくなっていくことだけは感じる。

キューマ発言を擁護するアベシンゾーは同罪どころか、もっと罪が重い。

「アメリカの考え方を述べたようだ」というふうにコメントしたらしいが、私にはキューマ大臣の発言がアメリカのオーソライズされた考え方かどうかも確かではないが、であったとしても、なにゆえに日本国の防衛大臣が米国の考え方を述べなければならないのか。私には意味がわからない。

沖縄はもう夏で暑い。62年前の今日、沖縄の人々はこの季節を地獄のような戦闘を経て這い出し、廃墟と化した島を生きるために彷徨していた。ちょうどそのころ、日本国は国体護持のために降伏を引き伸ばし、米国は新兵器である核兵器の日本への実験(実戦)投下を決定していた。

原爆投下については、大日本帝国の降伏を引き出しアジア民衆の解放につながったと、ヒダリの方々からも肯定的な意見があるらしい。私は、いかなる理由があろうと、核兵器の存在を容認、使用を是認すべきではないと信じる。愚かで罪深い人類だが、我々にその愚かさを克服していく努力と可能性が残されていないとは思いたくない。

アベシンゾーを最高権力者とする、自民・公明の姿がはっきりと見えてきた。

キューマ大臣の発言に対する反応が過剰になることによって、それ以外の現政権の重要な問題点がカスんでくるんではないかと危惧する意見もある。私もそのような危惧を全然共有しないわけではないが、選挙に対する技術的な問題で、キューマ発言を過小扱いするわけにはいかない。

それ以上に私は、「日米軍事再編」(西山太吉)という今日の問題を、深く深く検証し、改めていける抗していける契機にしなければとさえ思っている。

沖縄の辺野古で起きている問題も、高江で起きている問題も、すべてがその地平の最前線である。アメリカが、ワンパッケージであることを強調し続ける意図を我々は見抜かなければならない。

「どこまでもついてこい」であり「どこまでもついていく」という歴史が大きく動いている。

そういう意味では、キューマ大臣の発言は、米国への確信的なメッセージである。失言でもなんでもない。

キューマ大臣は自身の発言を撤回も謝罪も訂正もしないとし、「誤解」に関しては説明すると発言しているが、私(たち)は決して誤解などしていない。

国家は国民を守るために戦争をするのではない。国家を守るのみである。そういう「戦争」のリアリズムからは、キューマ大臣の発言は、ある種の正当性論理性を持っているのかもしれない。この正当性を国民大多数が受け入れきれるとき、この国は戦争をできる/する「普通の国」になっている。

アベシンゾーはキューマ大臣を辞めさせることなどできないし、しないだろう。

占領国アメリカは途中から憲法とは逆コースで日本国を誘導してきたが、国民の大多数は憲法に手を付けさせかったし、自民党ですらそうしなかった。アベシンゾーは逆コースの仕上げを命じられているのだろう。それがアベのいう「戦後レジームからの脱却」の真意である。

逆コースの仕上げを阻止しよう。
そのためには、キューマ大臣の発言を正しく批判し辞任に追い込まなければならない。

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