宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

慰霊の日に思う。未来は過去からやってくる。

1060669_img_1 沖縄はもう夏です。左の画像は、名護市の源河川で遊ぶ河童たち。

明日は、慰霊の日。日本軍のオヤブンが自決して沖縄戦が終結した日らしい。

私は記念日というものにとても疎い人間で、誕生日やクリスマスや様々な事柄を祝ったこともあまりない。

それでも、今年の「慰霊の日」だけは特別な日であることを感じる。

隊長の命令があったかどうは、隊長の遺族の方には名誉に関わることでもあり、それはそれで明らかにできるならされればいいだろう。それも私にとっては、それはそれだけのことで、それ以上のものを感じ得ない。私の感受性はなにか壊れているんだろうか。

命令もしていないのに、「殺し合え」と命令したとされたら、誰でも怒るだろう。当人が故人なら、故人の関係者が人権あるものとして名誉回復を望むのは当然のことだろう。

しかし、そういう裁判が提訴されているからといって、沖縄戦における「集団自決」に日本軍が関与していなかったのごとく言い張ることはできない。沖縄といえども日本軍がいなかった場所では、親子が刃物で切りあったり赤ん坊を絞め殺したり毒薬を飲んだり石で殴り殺しあったり手榴弾で爆発しあったりすることはなかった。米軍は戦闘のために上陸しているのだから、その標的である日本軍の近くにいることは自殺行為だともいえるかもしれない。しかし、本土防衛のために本土決戦を引き伸ばすための捨て石として沖縄を戦闘の地にしたのは日本軍である。硫黄島のように島民すべてを本土に避難させたわけでもなく、人々の生活がある島を人々をそのままに、そのような戦略的戦闘の場所にしたのは日本国である。沖縄の住民はわざわざ自殺したくて戦闘地に近づいたのではなく、戦闘をここに持ち込んだのは日米両国である。

考えれば考えるほど、こんな単純なことがらを、まるで軍命の有無ひとつで、「集団自決」に日本軍の関与がなかったかのような根拠にしようという人たちのアホらしさがわからない。やはり左翼の方々や良識ある人々がいうように、この人たちはナチスによるホロコーストも無かったことにしたいネオナチみたいな恐ろしい方々なんだろう。そのうち沖縄戦もなかったと言い出すかもしれない(笑)。私はそれぐらいに、この種の人たちはトンデモ人種に思っていた。

自由主義がどうのこうのというグループの方から、昨日のエントリーにコメントがあった。
コメントの内容は、NHKクローズアップ現代の取材に協力したが、オンエアされた番組ではグループの名前が出なかったとかなんとか、言いながら自分とこの サイトへのリンクが貼ってあった。なんのためにコメントしているのか、あんまり理解できない内容だったが、言葉遣いがが丁寧なので削除するのは躊躇してし ばらくそのままほっといた。
他の人のブログにもまったく同じコメントが貼られてあったのをみて、「あっプロパガンダなんだ」とわかり、協力する気はさらさらならないので、私のブログにあるコメントは即効削除した。

この人たちが何をしたいのか、私にはよくわからない。それはそれで、私の知的能力に問題があるのかもしれないが、イマまではあんまりわかりたいとも思わなかった。

イマとなっては、私はわかりたいと思わなかった私を恥じている。この人たちは、徹底的に闘わなければいけない闇であり、私たちの中にある暗い衝動である。理性的なようにみえてちっとも理性的でない物言いの向こうにある暗い闇を見据えて、私たちは闘わなければならない。

軍命の有無など、確認できるわけないだろうと私は思う。敗戦の混乱の中で当時の軍部や行政は、戦後に不利になるような文書は死に物狂いで焼き捨てただろう。沖縄においては、家屋も役場も何もかもが破壊されつくしたのである。文書など出てくるはずは無い。
そのことを十分知って、一部の方々の偽証などで「集団自決」に関わる日本軍の関与のすべてを消し去ろうとしている。この人たちは、国家犯罪を免罪するために、あらゆる努力を惜しまず執拗に攻撃をしかけてくるだろう。

今回の教科書検定はそうでしかないし、おそらく自由主義がなんとかというグループの方々が主張しようとしているのもそのことでしかない。これは終わりではなく、始まりである。私たちは心してかからなければならない。10年前ならトンデモ史観といわれていた歴史観が、大勢の人が信じる歴史観になろうとしている。そんなに大勢いないだろうと思われる方もいるだろうが、自民党国会議員による最近の慰安婦(性奴隷)問題や南京虐殺に関する海外での動きは少人数の動きだと言い張れるだろうか。その方々は少人数だとして、その方々を国会でこんなマジョリティにしているのは、少人数ではない。

無理やりの結論のように聴こえるかもしれないが、私の中ではぜんぜん無理やりではなく、アベシンゾーの政府は終わらせなければならない。できるだけ速やかに、政権交代はなされなければならない。私たちには悠長に構えていられるほど時間も余裕はない。それは、おそらく真実である。

慰霊の日」に思う。未来は過去からやってくるという。