宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

アベシンゾーのまなざしから立ち上がる腐臭について

Abend_1カメラレンズをみつめるまなざしがある。

まなざしというには、眼差している対象もわからないし、何を考えているのか感情も思考も、その視線からはわからない。

おそらく対象はあるのだろう。テレビ画面の前で、まなざされている対象は、どのように感じているのだろう。

同じような、まなざしをしているのだろうか。

沖縄では、歴史教科諸問題で、異議申し立てが起こっている。しかい、このような歴史教科書を受け入れる素地が沖縄にもある。その素地の準備をしてきた人々は明らかにいる。

一仕事終えて自らに課していたネット厳禁も解除して、どこにつくとも知れぬ船乗りのように、このまなざしについてキーボードを叩きながら考えてみる。

実をいうと、(好きなんだがこのごろは)テレビをあまりみない私が、このカメラ目線を知ったのは、安倍晋三トラックバックピープルで知った《ぬぬぬ?》というブログでの記事。しかし、私の使っているファイアーフォックスは、このブログに行くとなぜかエラーを起こしてフリーズしてしまう。

ということで、さっきブログ記事を書きあげて、リンクとトラックバックのためにURLを確認しに行ったら、またまたフリーズして、…書いたものを全部無くしてしまった。

なんか、いろいろゴチャゴチャ考えて、長い論考もどきになっていたんだけど、また、今度ゆっくり考えてきちんと書けるときに書きたいと思います。

とりあえず、覚えている限りで書き留めておくと、こんなことを考えていたようです。

沖縄での集団自決に関して旧日本軍の関与を教科書から削除するのは、防衛省昇格、日米軍事再編、新憲法制定と全然無関係じゃない。政権がやりたいと目論んでいることにとっては、むしろ本丸への重要なステップなのかもしれない。

南京虐殺はなかった。ユダヤ人へのホロコーストもなかった。
それらと同じ精神で、沖縄戦での旧日本軍の住民への犯罪もなかったことにしたい/そうするためにまずは括弧に括って横に出す。

私が感じたまなざしの気持ち悪さは、その精神の持つ暗闇の深さに対する嫌悪であり、底知れぬ底の浅さへの恐怖である。

…数年前に起こった「沖縄イニシアチブ」論争や県知事による資料館展示改竄問題など、沖縄の内側からもこの状況を招聘する素地がつくられていったことを思い出しながら、昨年の名護市長選挙と沖縄県知事選挙の結果のように政府に回収された沖縄は、政治的社会的にそのような政府に対抗する力は萎えていることなどを思っていた。

集会やデモで、政治家や団体代表の長いおしゃべりを聞かされ、カルト集団のように同じ言葉を集団で繰り返すことを強要され、引くだけ引いて、言い知れぬ寂しさと孤独を感じる人がいる(まっ私のことなんだけどね)、そんな人々も参加できる社会運動を創り出さないと、革新系が自らのアンシャンレジームには驚くほど肝要寛容だから「戦後レジームからの脱却」などといわれて通用させてしまう。…などとグチも書いていたかな。

ただひとつ、絶対的権力が絶対的に腐敗するなら、実質的に一党独裁できた自民党は、―それが右から左までいる弾力政党だとか、自民党は傀儡で実質的には集団的な官僚独裁でしかないなどといってもなんの気休めにもならないほど―一党独裁できた絶対的権力であり絶対的に腐敗する。

その腐臭が立ち上がっている。アベシンゾーのまなざしから感じる悪寒がする気色悪さは、その腐臭を、あのまなざしの底知れぬ底の浅さの空虚さの中にアタシが嗅いでしまうからなんだろう。

7月の参院選は、自らの仲間を引き入れるために地獄の門を開こうとする腐った怪物と、ひとりひとりが闘っていく、天下分け目の決戦なんだね。

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昨日もほぼ徹夜になってしまった。こんな真昼間だが、今日はこれから酒でも引っ掛けて寝ることにする。

おやすみなさい
生きていこうね。誰もひとりなんかじゃない。今日は、SIONの歌声を聴く。