宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

我沖縄に帰る

Kumo 5月30日19時20分我兄貴死す。享年55歳。電話にて次兄から報告拝受。仕事場でひとり嗚咽す。

5月31日午後5時ごろ、長兄とともに亡兄の自宅に到着す。やせ細った遺体と会う。

6月1日、前月に訪問した際、兄貴が自ら調整しようとできずに気にしていた、兄貴のパソコンおよび周辺機器とのネットワークを調整し一台だけ立ち上げる。膨大な写真、ビデオデータ、それらの几帳面で論理的な整理。見事である。家族、息子の成長記録のみならず、沖縄での古い写真を複写しデジタル化したデータも散見できる。死の淵にあって、最期の整理に焦っていただろう事を想う。可能な限り整理を受け継ぎ完了し、残された者たちに渡すべきを渡したいと考える。

6月2日午後自宅より出棺し葬祭場にて通夜。

通夜の夜、兄姉たちの昔話に、年の離れた末っ子の自らの縁の薄さのようなものを想う。長兄とは16、次兄とは10、亡兄とは8、姉とは6歳離れて私がいる。長兄から6年離れて次兄・亡兄・姉の三人が二つ違いで続いており、その三人の一番下の姉からさらに6年離れて私がいる。
まずしい我が家で、労働力となり家計を支えた真ん中の三人の兄姉たち。長兄も貧しさのゆえに中学を出るとすぐさま電気工になり、夜学を通い自ら技術と知識を身につけてきた。私だけが、少し貧しさの度合いが緩和してくる中で、自由気ままに両親や兄姉の寵愛を受けて育った。映画“ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ”の登場人物たちに比すれば、みんなが人生の悲哀を背負い生きていくなかで、私は少年時代に殺された一番年下の子どものようだ。しかし私は殺されず、それなりに年齢を重ねてきた。
それぞれが、楽しかったことと苦しかったこと、様々な沖縄での幼少の記憶を身に刻んでいる。亡兄は、その真ん中で兄たちを想い、妹弟姪を想い、年老いてい く両親を想い続けていただろう。やさしかった亡兄の、やさしいゆえの自らの出自である家族と自ら創り出した家族への想いの深さと、自らへの抑制の深さを想う。「沖縄に帰る」という最後の希望を叶え る手伝いができず、ただただ私は無念に身を苛む。

6月3日午前9時より荼毘に付せられ午後1時より告別式。涙枯れることなく、ただただ哀しい。
同日午後5時過ぎの特急で東京入りし、神田駅前の安ホテルに投宿し、今朝5時前に動き出し、6時55分発の航空機で沖縄に帰ってきた。

珍しく窓際の席に座る。眼下に広がる雲の下に、生まれ島・沖縄がある。地上からは曇天の雲しか見えないだろう。
県外移設は無理だと沖縄への新基地建設を強行する日米両政府は、この雲である。眼下に広がる雲は流れいくが、この雲は停滞し続けている。
地上を這うように生きる私たちには、この雲はあまりにも大きく、どうしようもないもののようにみえる。有権者は、そのどうしようもなさの中で、政府と協調する代表を選び出していく。
這うように地上で生きながら、それでも私はぜったいあきらめない。兄貴や私たちが生を受けたこの地への、私の子どもたちが生きているこの島への、このような差別をぜったい是認しない。

那覇空港で買った地元の新聞一面トップは、岸首相が密約を指揮との記事。沖縄では時間が止まっている。ここから脱出するには、あきらめずに、抗うしかない。

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BlogPeopleジャンル別ブログランキング、「政治」「ニュース・一般」「人間・哲学」「沖縄」のすべてが1位。もう一週間ほど続いている。ランキングの決め方詳細はよくわからないし、ブログランキングなどとりたてて関心はなかったが、バナーをクリックしてくれるあなたのおかげで、少しでも多くの人に沖縄で起きていることを伝えることができているのだろうと思う。感謝します。

参加している全部門1位などという状況が長続きするわけはないが、どうか、これからも「沖縄」のことを注視してほしい。炭鉱のカナリアの歌声が聴けなくなったときには、あなたやあなたの愛する人々すべてを影が襲う。その影は、自らだけの影ではない。

ブログランキングの上位にいる右翼愛国抵牾ブログを構築して遊んでいる子どもたちは、いじめっこにくっつくことでいじめられっこに転落することを回避しようと躍起になっている、境界性社会適応障害なのだろう。あわれむべき存在なのかもしれない。このような社会ではない社会を志向しなければならない。

私は、日々の暮らしを大切にしながら、可能な限り、声をあげ続けていきたい。

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ススムにーにー。
ヒーローは沖縄に帰ってきたよ。
洋平には、「お袋を大切に、友達を大切に、人生を楽しめ」と話してきた。
まちがってないよね。