宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

西山論文を読む(3)_重要追記あり

長くなりましたが、西山氏の論文を紹介する最後です。
一緒に読んでみましょう。

-----------ココカラ西山論文(小さな字はヤスヒロメモ・ゴチックによる強調も

「日米軍事再編――沖縄返還の今日的意義」(3-3

安保の本質論議を
九条改憲の外堀埋める

今回の日米軍事再編は、日本側からの双務的協力の方向を固定化するとともに、これを拡充するための突破口をつくり出すことにある。

沖縄返還が安保変質の原点であるとすれば、今度の再編はその集大成であり、究極の変質と言ってよい。このことは、憲法第九条の“改憲”への外堀を埋めることを意味する。

■下請けの一体行動

米国ワシントン州の第一軍団は、神奈川県座間に本部を移し、これに呼応してテロ対策のために新設した自衛隊の「中央即応集団」も、同じく座間に駐留して、下請けともいえる一体行動に入る。

航空自衛隊総司令部も、府中から横田に移り、当地の米第五空軍司令部と緊密に連携することが決まった。沖縄の嘉手納米空軍基地や、キャンプ・ハンセンに自衛隊も合流し、基地の共有化により共同作戦行動をとる体制に入る。

日米物品役務相互提供協定(ACSA)に基づく、自衛隊からの米軍支援件数も急増の一途をたどり、さらに、次世代迎撃ミサイルの日米共同開発も、日本側からの申し入れにより、本決まりとなり、2015年の開発終了に向けて動きだした。

その過程で、武器輸出禁止の三原則も、事実上、変更されたとみられている。

こうして、再編協議の中間報告にあった「同盟に基づいた緊密かつ協力的な関係」「新たな脅威や多様な事態に対応するための同盟の能力の向上」のため、今後二十年もの年月をかけて日米軍事共同体が編成され、かくして、日米安保の“片務性”は、“双務性”へと大きく変わろうとしているのだ。


その間に、国際政治、経済の構造変化は、急激に進むだろう。ただし、その場合でも先例の積み重ねにより、日本の過重な財政負担は、“片務性”の束縛から解き放たれることはないだろう。

名護市辺野古が「地元」として強調されすぎてきた。 市の滑走路移動要求も、すべて、この「地元」の要望を根拠にしている。「地元」が“受け入れた”からといって、被害を被る「地元」の要求だからといって、 ちょっとした変更で、基地建設そのものの不当さが不問に付されるわけではない。行政的には地方公共団体であるところの名護市が「地元」でしかない。海兵隊 の航空基地建設である事業内容を考えれば、広義の「地元」は、航空基地から飛び立つ騒音や殺戮の被害を被るすべてが「地元」である)への新基地建設は、このような日米軍事再編の先端で象徴である。「反対派」の理屈や沖縄住民の感情などを超えて、造る側は「本気」である。彼らには、反対の直接行動をする人も、員数であり想定しうる妨害行為への対処方法もゲーム理論でこと足れる。機動と物量(末尾に追記あり)で あり、マスコミを動員した反対=過激派宣撫工作である。人々の感情や生き様など大した係数ではない。名護市や県の言い分ですらが、理屈に合わなければ無視 しうるレベルの雑音である。しかし、この計画が暗礁に乗り上げることがあるとすれば、それは日米同盟のありかたを変える大きな転換になる。「双務性」が沖 縄の犠牲の上にしか立脚できないとすれば、それは日本国にとって恥辱でしかない。であるから、政府は理屈として「沖縄の負担軽減」を前面に出す。であるか ら、受け入れたはずの沖縄側は足元を見て強気に要求し続ける。奴隷の政治。その「差別性」を明らかにすることで、いびつな国家像を白日のもとにさらけだす 必要がある)

■反米、非米の台頭

我 々が、いま、ここで真剣に考えなければならないことは、こうした日米軍事共同体の形成に、果たして合理性はあるのか、現在あるいは、近未来の国際情勢に照 らして、適切な対処の仕方なのか、そして、肝心なことは、それが、“新たな脅威”としての反米テロの掃討に有効な手段となり得るのかという点である。

これらの設問に対する答えは、「ノー」か、あるいは重大な疑問符がつく。世界の35カ国を対象とした英国のBBC放送の世論調査が示しているように、60%以上の人々が、「国際テロは、イラク戦争によって増大した」とみている。

また、イラクへの出兵の是非についての米国のCNN放送の世論調査でも、やはり、60%が「間違っていた」と答えている。イラク戦争に象徴されるブッシュ政権の過激な一国主義に対して、世界の世論の圧倒的多数は、否定的なのである。

かつて、モンロー大統領(米国)が、米国の“裏庭”と称した中南米諸国にしても、その大半は、すでに、米国にとっては、柵をめぐらした“外庭”と化してしまった。

従米ではなく、反米・非米の台頭である。(これには、米国の一方的なグローバリズムに対する批判もからんでいる)。

■単独行動

このような内外の情勢に対し、さすがのブッシュ政権も、いまや、一国主義的行動を修正し、対中国、インドを主軸とした外交再編に乗り出さざるを得なくなり、イランの核問題でも、外交中心の国際協調主義に軸心を置き換えつつある。

そして、世界で主導的役割を演じている主要各国も、それぞれの国益に基づいて、多角的な国際関係を設定するため懸命の努力を傾注しはじめている。

これから、十年、二十年先、中国とインドの成長は、必至であり、米国が、現在の地位をそのまま保持できるという保障は、どこにもない。

こうした流れの中で、米国の多分に独断的な世界軍事戦略体制の一環としての日米軍事関係の一体化は、極めて後ろ向きの奇異なまでの単独行動であり、明確なプランの下に企画され、実践されようとしているとは、とうてい考えられない。

米国が最も恐れる国際テロにしても、それが国境を越えて広範囲に分散し、しかも、気脈相通じた連鎖的行動を展開することを考えれば、日米の軍事共同体が、果たして有効に対処できるかについては、極めて疑わしいといわねばならない。

テロ対策の中で軍事が占める比重は、その他の政治、経済、社会の諸対策に比べて、はるかに低いというのが、専門家筋の一致した見解である。

(私は、『沖縄は基地を拒絶する』(高文研刊)の中で「この文書(再編合意文書)が実現しようとしていることこそが、脅威であり課題である」と書き、「合意文書は、〈新たに発生している脅威〉に対する処方箋ではなく、脅威を生成する装置でしかない」と断じた)

■対等な同盟国に

今回の日本の選択は政治、経済、社会全般に対する深い洞察に基づいたものではなく軍事に裏打ちされた単純な教条主義に起因している。

改憲論がタブーでなく、具体的日程にのぼってきたいま、日米安保の功罪を問う本質的議論も、もはやタブーであってはならない。

占 領の残しとして“属米”が慣習化してしまった日本も、いまでは、米国に対しては、強力な債権国であり、その米国が財政、貿易両収支で空前の赤字を出しなが ら、資本収支でなんとか黒字をつないでいるのも、日本が中国と共に、金利の安い米国債を大量に購入し、かなりの減価にもかかわらず、持ち続けているからに ほかならない。

この際、盲目的な同調に終始せず、「イエス」「ノー」をハッキリ言い切る真に対等な同盟国になりきるだけの勇気と決断が求められるのである。

(了)

--------------ココマデ西山論文

進行中の日米軍事再編の先端であり象徴でもある「新基地建設問題」を、どのように考えるべきか。政府の 立場からは、沖縄ローカルの問題にすべき部分と、全体の問題にすべき部分がある。沖縄側に合意させる(ブヒ氏はまさに合意した)ことができれば、全国的に は“過重負担”の沖縄ですらが合意した、ということで進行できる。合意後の沖縄側からの要求は、事務的な手続き段取りの中で処理すればいい。合意までが 「政治マター」であり、合意後は「行政マター」であるのは自明である。名護市は、まんまとハメられたのだろう。ブヒ氏は逆・役不足であった。

少し時間をおいて、西山論文が指摘している「日米軍事再編」の中での、新基地建設問題の出口について思考してみたい。

まぁ、あんまりブログでやることではないかな。思考の場や、発表の仕方は考えます。

ここまで、読んでくれたみなさん。ありがとう。国家犯罪に敢然と立ち向かい続ける西山氏の生涯をかけた 仕事に、それぞれの現場で呼応できるようにしていきましょう。どんなに規制事実が積み上がり、仮構された現実に圧し潰されそうになっても、ただただ「あき らめない」とあがくことでも、立派な呼応だと私は信じている。

沖縄のジャーナリストは、この問題を無視して、自らの仕事を語ることはできないだろう。
沖縄の政治家が、この問題に対する態度を明確にできず、政治を行なうことは「奴隷の政治」でしかない。

追記:日テレの報道しか確認できないが、政府が事前調査 における反対行動に対して自衛隊の投入を決定したとの話が飛び交ってる。私は、【機動と物量】と記したが、そこまでの機動は想像もしなかった。政府・防衛 省はとことん追い詰められている。守屋氏の描いた絵は行き詰まっている。これが事実なら、法に位置付けられた自衛隊の任務を大いに逸脱する。不適切極まり ない言葉だろうが、これが事実なら面白い。明日、事実関係が明らかになりしだい、なにが起きているのか地図を描きなおしてみる。(23:00、少し酒が 入っているが記す。電話での情報交換に応じてくれた新聞記者諸兄に感謝)