みやぎブログ

演劇・戯れ・政治

西山論文を読む(2)

名護市は晴天。

私は穴倉のような事務所にこもり、仕事に集中するよう自らを仕向けている。
闘病中の兄や、兄の家族を思うと辛く。人生についていろいろ思い巡らすと、自身の状況の厳しさもどんよりと圧し掛かってくる。

西山氏の論文の紹介を続ける。

名護市への新基地建設問題の混迷を抜け出すためにも、西山氏の指摘を真摯に受け止め、状況をしっかりと把握・認識し、出口への戦略を持つ必要があると、私はますます確信している。

琉球新報の今朝の朝刊。復帰35年県民世論調査の結果。新基地建設に反対する世論は高い。選挙結果とあわせて考えると、県民は沖縄側の行政・政治に基地問題解決を期待していない。それほどまでに政府の圧力が効いている。ナカヨシの存在もわかる。これは無関心ではない。抑圧が強いと反発も強い。壊れる場合もある。

-----ココカラ西山論文(小さな文字はヤスヒロのメモ)


「日米軍事再編――沖縄返還の今日的意義」(3-2)

    片務性から双務性
    自然消滅の“極東条項”


今回の日米軍事再編の“目玉”とされている沖縄の米海兵隊の司令部関係者、八千人のグアムへの移転問題は、沖縄返還時の非合法的な情報操作を地で行く典型といってよい。

あの時(沖縄返還時)の対米支払いは、もともと積算根拠のないつかみ金三億ドルに密約金二千万ドルを追加したものであった(この金額は、日韓交渉の妥結金の無償分を上回る当時としては、巨額のものであった)。


「米資産買い取り」や「核撤去」などは、いかにも積算根拠があるかのように、みせかけるため、後でつけ加えられたもので、その結果、米国と日本の各費目の国内説明が食い違うという醜態を演じたほどである。

■積算根拠

こんど米国が移転費として提示した百二億七千万ドル(約一兆一千九百億円)の詳細な内容は公表されておらず、道路整備費、十億ドルなど移転費とは考えにくいような費目も含まれている。

こ の75%を日本側が負担すべし(在日米軍駐留総経費の日本側負担率と同じ)というのが、米側要求であるが、これに対し、額賀防衛庁長官は、総額の積算根拠 を問いただすことなく、これをそのまま認め、その上で、その59%にあたる六十億九千万ドル(約七千億円)を日本側が負担することで交渉をあっさり、まと めてしまった。

そして米側要求の75%を、60%をわざわざ1%下回る59%まで削減した上、一般会計上の政府支出いわゆる“真水”は、この内の二十八億ドル(約三千二百億円)で、残りは、無利子の政府出資かあるいは融資──と説明して、得意げな表情で記者団に対していた。

しかし、グアムの移転経費として防衛庁が発表した資料をみても、例えば、米側負担分の中の“真水”部分の内訳にしても、ヘリ発着場、通信施設、訓練支援施設、整備補修施設、燃料弾薬保管施設などの基地施設関連とされているだけで、詳細は、まったくわかっていない。

現 に、八千人の移転には、せいぜい七十億ドル未満ですむという現地建設業者の声も報道されているくらいで、いずれにせよ、このようなばく大な税金の支出を詳 細な積算根拠を問いただすことなく約束してしまうということは、主権国家間の交渉ごととしては、まず、考えられないことである。

(久間防衛大臣今年4月13日の記者会見で、再編費用の国会への説明について、詳細が判らないのに「できるわけがない」「無理な話だ」と一蹴し。米国への約束を開き直っている。そのようなことが許されることの異常さは不変)

■渡りに船

ここで、注目しなければならないのは今、米国は、“新たなる脅威”すなわち、対テロの即応戦力拡充をめざして、グアムにおいて、海、空、海兵隊三軍の統合運用能力の飛躍的な向上に全力をあげているという事実である。

とすれば、史上空前といわれる財政難の折から、日本側からの在沖縄海兵隊の削減要求は、まさに、“渡りに船”の提案であったということもできる。

このことと、米軍基地内の実態は、秘密のベールに包まれて、外部から監査することなどとうていできないという事情をあわせ考えれば、米側のいいように扱われてしまうということになりかねない。

そして、われわれは、このような、史上、例のない便宜を与えておきながら、なお、辺野古にパッケージとして六、七千億円はかかる初めての新基地建設を義務づけられる一方、一万人に近い米海兵隊実動部隊が沖縄に残存することも容認しなければならないのである。(強調:ヤスヒロ)

(久江雅彦氏が「米軍再編・日米秘密交渉で何があったか」(講談社新書)で、報告している事実もあわせて検証すると、日本側の戦略のなさ、沖縄への基地集中(本土への移転阻止)という方針(日米双方の思惑は一致している)の強固さがよくわかる)

■米国のエゴ

在日米軍関係経費について、常に、米側が、強圧的ともいえる態度をとり続けている背景には、「俺たちは、お前たちを守ってやっている。しかし、お前たちは、俺たちが敵と相対する時にも、一緒になって戦ってくれない」という、いわゆる日米安保の“片務性”がある。

わが国は、憲法第九条との関係上、集団的自衛権を発動することはできない。従って、米側には、在日基地の維持ぐらいは、全部、日本側が負担して当然という認識があり、現在の“思いやり予算”は、そうした米側の要求に対応した措置なのである。

し かし、歴史を振り返ってみよう。そもそも、この“片務性”は、マッカーサー憲法とまでいわれた日本国憲法の制定、さらには、対日講和、日米安保の過程で、 米国が日本を支配下に置こうとして、提起したものであり、時代が変われば、こんどは、“双務性”を持ち出してくるということ自体、国家エゴむき出しの矛盾 した態度といわれても仕方ない。

さらに、その“双務性”にしても、現実は、すでに、どんどん進行している。米国は、冷戦構造崩壊後、超大国として君臨し、同時に、世界各地で発生しはじめた民族紛争や反米闘争に対処する上で、沖縄の戦略的価値を再認識し、返還時の二大方針の実行を一層、強化した。

日 米安保共同宣言や、新日米ガイドラインなど米軍の行動半径の拡大と日本側による後方支援体制の整備は、すべて、そのような強化措置にともなって、もたらさ れたものであり、日米安保の“極東条項”などは、それが、条約であるにもかかわらず、事実上、“骨抜き”となり、自然消滅してしまった。

いまや、米軍は、イラクに向けて、沖縄から自由に発進し、わが国も、アフガン戦争以降、特別措置法によって、米国の軍事行動を積極的に支援することに踏み切り、いまも、なお、支援し続けているのである。

(米 日が、いわゆる「逆コース」に舵を切ったとき、沖縄は米軍の統治下。「逆コース」の安定・加速化と、施政権の返還(本土復帰)は、無関係ではないだろう。 1952.4.28に沖縄を切り離して主権を回復した日本。戦後 60数年を経たかもしれないが、沖縄は復帰(再包摂され)してまだ35年だ。「憲法」改正議論に沖縄の立場からする発言は重要。“骨抜き”を許さない、議 論の地平。または、権力側のアキレスは)

(つづく)