宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

テッポウユリの花

070504_18040001_2 070505_15570001昨日は、つぼみだった、庭のテッポウユリの花。
今日は、咲いていた。

たまたま、昨日、ケータイ画像に収めていたつぼみと本日の花の画像をアップします。

白い小さなユリの花。なぜかうれしい。

ゴールデンウィーク残すところわずかなのに、名護市は雨。残念がっている子どもたちの声が聴こえてくるような気がする。

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今日、“北部振興策”のことで取材に来た某全国紙の記者さんと、もうじき復帰35周年とやらでいろんな雑談をした。

沖縄の自助努力の足りなさ、政府資金への安易な依存、その点では革新も含めて根っこは一緒、本土の田舎の方はもっと大変、いろんな話が出てきた。当たっていることもあれば、当たらないこともある。

私は、名護市への基地建設だけは認めきれない。なぜ認めなければいけないのかわからない。

人びとを惑わせるカネの話など、なにひとつ本質的な問題ではない。

普天間は無条件で返還されるべき性質の基地ではないのか。沖縄戦で上陸した米軍が、本土決戦に備えて県民からとりあげて造った基地である。72年の 施政権返還の際に、処理していなければならなかった戦後処理ではないのか。なにゆえに、この基地を返還させるのに、沖縄はこのような煮え湯を飲まなければ ならないのか。カネで右往左往する人心の荒廃も、自然を破壊する愚かさも、すべてが煮え湯である。

安穏と貪られてきた「平和」の継続のためなどではなく、「差別」をやめてまっとうな国になるために、「差別」を忍従せずまっとうにコミュニケーションするために、こんな基地建設など認めてはいけない。差別を受けている側がそれを認めては、いけない。

おそらく、憲法問題の根幹も、この新基地建設のいかんにかかっている。

復帰35周年などというメルクマールにどれほどの意味があるのだろうか。あるとしたら、沖縄を包摂した(日本国に包摂された)35年前にどれほどのウソが行われ、それが現在でも継続拡大再生産され続けているという「現実」の検証と変革だけだろう。

仮構された「現実」を打ち破る、それぞれの営為が求められている。
私はなにひとつあきらめない。あきらめさせようとする政府権力の戦略に、ふつうの市民が打ち勝つ唯一の手段は、あきらめないということである。「覚悟」や「勇気」などという英雄的なエッセンスはあまり重要ではない。

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休日らしく取材を受けた以外なにもせず、事務所から自宅に戻り、子どもの世話等をしながら、白いユリの花を観て、そんなことを思っていた。