宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

陰の時に至りては蟄居を閉ず

日曜日の琉球新報の報道によると参院補選は拮抗しているということだ。

民主党公認で那覇市議になり、政治好きの旦那が民主党に袖にされたからといって自民に飛び込み自公が利用する候補者と、労組の出世街道をのぼり連合沖縄の会長まで務めた野党統一の革新候補が拮抗しているということは、よっぽど沖縄の政治情勢は保守優勢なのだろう。

案の定、本日の沖縄タイムスは保守候補が「やや優勢」と報道した。

「豊かな暮らしを」と連呼する宣伝カーに、であるからオキナワを植民地として扱う現政権を変えるべきであると思う。
「台所から」と大声を出す宣伝カーに、最近主夫に徹する私は、市井の人々を苦しめる悪政続ける与党のくせにと苦々しく思う。

福島の参院補選は民主党優勢ということである。福島では共産党も独自候補を立てている。野党統一でありながら自公優勢という沖縄をどう考えるべきだろう。

たぶん、たとえば名護市長選挙、たとえば沖縄県知事選挙、それぞれ一地方自治体の選挙とはいえないほど重要な選挙に対して、政府はあらゆる力(資金・頭脳・メディア)を駆使して臨んだ。それに対して、野党側は分裂含みで有権者をウンザリさせるにたる非妥協的な態度・言説が横行した。

国のかたちを大きく変えようと政権が動いているときに、沖縄は変革の要になる機会を自ら失い、政権の虜になる道を歩んでいる。

Mori_2 昨晩、泊りがけで遊びに来てくれた友人に、普天間移設問題にどう対応していくと問われ、私はしばらく蟄居したいと答えた。

彼女も職場に復帰しなければならない。願わくばどうにか私はSOHOの仕事で必要な収入を得ながら、子育てをしていきたい。別れた前妻にも、「今度は子育てをするのよ」と忠告された。とてもやさしく重たいことばだった。自分が情けなくて涙すらでてきた。

市民投票から10年間走り続けてきた。
「政治」それも「選挙」でしか、状況を変えることはできない。市民投票の民意実現のためには、首長を選び出す「選挙」という投票で民意を示すしかない。それは私の確信に近い。
98 年の市長選で革新のエースと呼ばれた革新県議で惜敗し、02年に市民派といわれた私で大敗し、06年には前市長が勇退する中で保守市議を革新統一で擁立で きたにも関わらず、革新政党からの支持も一切ない「革新」候補者が出て結果的に自公候補を助ける。自公政権は笑いが止まらないだろう。

私はしばらく「選挙」に関わる気力も体力も何もない。
もともと「政治家」や「議員」になりたくて、活動してきたわけではない。右足を踏まれ ている人間が、右足をどかしてもらう換わりに左足を踏ませるわけにいかない、踏んでいる奴に足をどけさせるべきだという、ごく当たり前の感情と理性から活 動してきただけだ。しかし、力足らずで悪くなる一方の状況下である。しばらくは蟄居してゆっくりと考えたい。

友人に、95年以降のクロニクルをつくりたいと相談し協力を求め快諾を得た。
友人たちの協力も得ながら、蟄居している間に試行錯誤していきたい。

99年の閣議決定と、06年の閣議決定の狭間で、なにかが動いている。発見されるのを息をひそめて待っている細部がある。そんな気がしてならない。
陰の時に至りては蟄居を閉ず。しかし、まにあうだろうか。