みやぎブログ

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自律性

名護市への「SACO交付金」がなくなったことが本日の琉球新報で報道されている。

名護、浦添配分なし SACO交付金、前年比約10億減

名護市キャンプ・シュワブ(6億3000万円)が減と記事にはあるが、これは2006年度の金額で、これまで拠出された金額のすべてではないだろう。

SACO関連事業には「SACO補助金」と「SACO交付金」で行なう事業があり、補助金のほうは言い方は悪いが国が勝手にSACOとの因果関係を認めて拠出するもので、交付金のほうはSACOにおける移転先に限られる。…というのが行政的な定義。

-----追記ココカラ(5月2日)

追記:私のノートパソコンにSACO交付金補助金の定義のテキストデータがあったので、参考と記録のために貼り付けておく。交付金補助金の違いについてググって訪れる人がいるので、私が理解している一般的な違いも明記しておくが、補助金は特定事務事業に対して法令等で定められた基準で拠出される金銭、交付金は特定目的で交付される金銭で一般的に使途は被交付者の裁量にゆだねられる。下記、強調は私。

1.SACO交付金
SACO最終報告に盛り込まれた措置を的確かつ迅速に実施するため法制面および経済面を含め政府全体として十分かつ適切 な措置を講ずる旨の閣議決定(平成 8年12月3日)をうけ、防衛施設周辺の生活環境整備等に関する法律、以下環境整備法第9条に規定する特定防衛施設周辺整備調整交付金の特別交付分としてSACO関連施設の移転先または訓練の移転先となる特定防衛施設関連市町村に対し、公共用の施設の整備を行うための費用にあてさせるために5年間の予定で交付するもの、なお具体的にどのような公共用の施設を整備するかは市町村長の自由な選択にゆだねられている。

2. SACOの補助金
平成8年12月3日の閣議決定をうけSACOの関連施設の移設等による防衛施設周辺住民の生活環境への影響の緩和を図るため、環境整備法に定めるメニューを基準としてSACO事案との因果関係が認められる事業に対し原則として9/10の補助率で関係地方公共団体に助成措置を講ずるものである。

-------追記ココマデ

Sukuta_1 7つの条件付で受け入れ撤回もありうるとして新基地建設を受け入れた名護市は、当初は「SACO補助金」で事業を行なっていたが、徐々に地域の公民館を補助率の高い「SACO交付金」で造る建設ラッシュになっていった。(画像は赤瓦屋根の観光施設、ではなくブヒ氏の地元公民館・もちろんSACO交付金による)

市議会議員をさせてもらっていたころ経費の性質の違いに着目して、議会で岸本前市長や企画部長(現助役副市長・末松氏)と、しまいには「あんたら撤回する気なんかさらさらないだろう」と憤りつつさんざん議論した。

それらの議論の一部が、市議会の議事録検索システムから読むことができた(※)名護市議会も情報公開が少し進んだ。とてもいいことだと思う。
名護市がどのように発言し、どのように地域公民館が新基地建設絡みで造られて行ったか関心のある方は参照してみて。
(※検索語に「SACO交付金」、発言者に「宮城康博」でヒットする)

新聞記事によると

防衛施設庁施設対策課は「名護市浦添市はSACOから米軍再編に移行されているため、SACO交付金には計上していない」と説明

している。これから自治溶解の再編交付金ラプソディが佳境に入る。

衆院安全保障委員会で昨日行なわれた、「米軍再編推進法案」の参考人質疑で、新崎盛暉氏が発言沖縄タイムス記事)している

「(自治体の対応は)国の言いなりになるか、値を釣り上げるためにごねるということしか残らなくなる。いずれにせよ自治体の自律性が大幅に損なわれる危険性をはらんでいる」

名護市はSACO関連事業で、補助金交付金の違いを明確に知りつつ、補助率の高さだけで食いつき自律性をおおいに損なって久しい。

新崎氏の言うように、自治体の対応は「言いなり」か「ごねるか」しかなくなるのだろうか。再編交付金などなくても、自治体には通常の法律に基づく補 助事業制度はある。補助する大元の政府は嫌がらせをするだろうが、それこそ「自律性」を損ねる嫌がらせであり許される行為ではない。

…などと思いもするが、我が沖縄は散々そのような政府の恫喝と嫌がらせを受け続けてきているのが現実である。我が沖縄をさんざんいたぶる政府の親分 が、恥知らずにも舌足らずに「ちゅらしま、なんとか」と語っている姿が選挙のためのテレビCMで流されていて、過日私はびっくりして、後に吐き気を覚え た。

こいつらよってたかって、我々をウシェークルシテル。

ちなみに自律とは、大辞林によると

他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること。

である。
日本国ですら米国言いなりで自律に程遠いのに、いわんや自治体は、…ではなくて、であるから自治体は、いやそうでもない、であっても私は、と自律性を意識し続けたい。

もうひとつちなみに、自律という英語のautonomyは、自治や自治体という意味も持っている。自律性が損なわれている自治体は、語義矛盾で自治体ではない。そのような団体・組織をなんと呼べばいいだろう。