宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

急募:金剛力士

三泊四日の関西旅行から帰ってきたら、私を追いかける仕事と諸々の支払いが待っていた。電気まで手違いで送電停止されていてほとほと困ったが、今朝一番で処理して、どうにか日常に戻った。

この数日の間にも、いろいろあったらしい。

琉球新報の記事によると、メアが

「地元の意見に十分配慮し、できるだけ沖合に寄せる必要があると認識した上で計画(マスタープラン)を確定しようと考えている」

と記者会見で述べたらしいが、修正の可否には

「修正するかどうかの問題ではない」

と発言している。

《できるだけ沖合いに寄せる必要がある》ものは何なのか。合意修正の必要はないレベルでの滑走路か、合意修正を要する飛行場本体か。それによってずいぶん話しが変わってくる。

沖縄タイムスの記事では、メア発言を受けてブヒ市長が

「われわれ市当局、市議会が求めている考え方に米国政府の責任者が理解を示す発言をしたことは、今後の政府との協議会の場で、名護市の案が理解を得られる方向に進んでいくと思う。これは大きな前進だ」

と手放しの歓迎ぶりをみせている。

久間大臣は国会で

「政府同士で決めたV字案を基本とし、地元意見を聞きながらやっていく」

発言しているし、麻生太郎外相は同じく国会で

「地元と防衛省、米国みんなでそこそこのところで落ち着く案を最終的には探らないといけない」

発言している。

沖縄県名護市(地元)と政府(防衛・外務省)と米国は、新基地を造ることでは一致している。
名護市の現在の姿勢は、7つの条件を付けて撤 回もありうると公約した時とは大きく異なっている。地元(行政の定義では久辺三区)が修正を求めているという事実も示せないまま、地元の要望を根拠に修正 を求めているブヒ市長は、頭の弱い最低の役回りを演じている。わずかばかりの金で沖縄を日米に売り渡している《売沖奴》というところだ。ブヒ氏の本業で あった豚の売買とはわけが違う。悪の凡庸さは底なしである。

地元新聞の社説等は、政府主導のアセスや諸々を問題として書き立てるが、事業者である政府が責任主体として主導するのは当然のことではないか。問題 は、環境影響の緒元である、航空機の機種や、運行のあり方などを把握できない事業者の行なうアセスが、環境影響評価足りうるかということだろう。換言すれ ば、「在日米軍基地建設」に環境影響評価は可能なのか(不可能としかいえない)ということだ。
地位協定で排他独占的管理権を米軍が有している限り、防衛省事業主体になってのアセスは茶番でしかない。

Kongou県 や市は、基地被害に喘ぐ《沖縄》としてその問題を重々承知しているにも関わらず、政府と協調して新基地建設を推進しようとしている。その県や市の演じてい る役割を不問に付して、政府の問題を論じても意味をなさないばかりか、問題を見えなくしてしまう。地元新聞社の論調が、これではお先真っ暗である。
現実の諸現象(権力の行動)だけを追いかけつつ、アリバイのごとくカウンターとして一部の反対行動を報道する状況が長く続いている。問題の所在や、その中身を知らされない市井にある人々は麻痺して思考停止に陥る。

《沖縄》は自ら大変な状況に足を踏み入れて久しい。96年の県民投票直後の県知事の公告縦覧代行応諾が、現在の振興策病の如き沖縄への分水嶺だったのだろう。それがここまで来ている。

写真は関西旅行で写した奈良の大仏殿の木造金剛力士立像。

この状況に待ったをかける、金剛力士は存在しないのだろうか。