宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

NEOKINAWA

仮称・「沖縄を考える会」の勉強会。
不肖宮城康博が、栄えある第一回目の講師などを仰せ付かり、恥ずかしながらお引き受けした。タイトルも「市民投票から10年、名護市・沖縄はいま」という大それたものである。その会が昨日あった。というわけで会場の沖縄国際大学まで片道1時間半かけて行ってきました。

勉強会といっても、研究者や活動家の集まりでもないので、あまり面白くもない私如きの「講話」や「演説」をやってもなぁ、といろいろ考えたあげく、年表作 りのワークショップをやろうということにした。そうすることで、この会に集ったみんなの関心や、思いや、それぞれの違いやいろんなことがらが見えて共有できればいいなぁ、と思った。

10nen まず最初に、スライドショーで10年間(正確には95年からの12年間)の市民投票に関わるメルクマールを簡単に紹介。

97年の市民投票はSACO報告による普天間移設という直接テーマだけでなく、95年の県民大会・96年の県民投票の流れを受けるものであると同時に、県知事の公告縦覧代行応諾や市長の事前調査受け入れという行政動向があって、首長にまかせておけないギリギリの線での「大切なことはみんなで決めよう」という意思決定の動きであった。ことを紹介し、しかしその後の首長選挙の変遷で今日にいたっている状況を確認した。首長選挙の結果は、この国の右傾化の進捗と無縁ではないことも確認した。(追記:それと、米軍統治下の基地建設ではなく、99年の軍民共用閣議決定以来、沖縄側からの要望を入れての米軍基地建設と化していること。ブヒ字も名護市長の要望が反映されていることを確認した。)

Ws1そ れから、年齢構成が偏らないように適当に5人ずつ3グループに分かれて、それぞれの年表づくりを行なった。45分という短い時間だったが、それぞれディス カッションし面白い切り口で年表をつくった。市民投票の時には小学生だった青年もいるし、本土で生活をしていて大震災を体験した人もいれば、全国紙の片隅 で沖縄の問題を知った人もいる。何があったか、知っていることも思い出に残っていることもそれぞれ違うのは当然。

あるグループは、沖縄で起きた「人権侵害」にテーマを絞り、年表を作った。調べれば調べるほど、話し合えば話し合うほど、続々問題が出てくる。最終 的にそのグループは「一番(頭が)悪いのは日本政府」という結論を出した:) そうして、下に矢印を引き、《それを選び出しているのは私たち有権者》…と 書き添えていた。

Ws2 あるグループは、この10年間のメルクマールを選び出して、それに対応した自分たちの気持ちをポジティブとネガティブにわけてグラフにした。

県民投票直後の県知事の公告縦覧代行応諾で、無限大にまで下がるバイオリズムの棒をみながら、みんなで感心したり笑ったりしたが、95年の少女暴行 事件で起きた民衆のエネルギーがあれによってそがれ、政府からどうにか抑えられると思われたのは間違いないだろう。それは、その後の「沖縄政策協議会」、 前後の「島田懇談会事業」や「北部振興策」などの津波で、沖縄が飲み込まれている状況を考えてもわかる。

W3 最後に発表したグループは、95年から97年までの細部を執拗に追って年表にした。このグループには、市民投票で「プロ市民」(笑)デビューをはたしたK女史がいたし、当時名護市の小学生だったK君もいた。経験や記憶がお互いに語られただろうことを感じた。

97年の市民投票。政府権力側の横暴に対して、普通の市民が立ち上がって、どうにかこうにか市民の意思を結集した。あのときの力が、どのように分散され、雲散霧消したようになったのか、そのことの問題を私たちは突き止めなければならない。
…そんなことを私は思い続けていることを、あらためて思い出した。

というわけで、とても楽しい有意義なコミュニケーションの場だった。参加したみんなにとっても有意義な場だった、ことを祈っている:)
私は、やはり《人》が好きで、《人》と共にありたいと、あらためて思っている。

バイオリズム年表は面白かった。
100人ぐらいにアンケートして検証すると、いろいろ見えて面白いのではないかしらん:)

仮称・「沖縄を考える会」は、第一回目の勉強会で名称を、新しいという意味の英語・ネオ(NEO)と沖縄(OKINAWA)をあわせた造語、

ネオキナワ
NE
OKINAWA

と決定し、通称「ネオキ(寝起き?)の会」となりました。

勉強会の参加者で「沖縄を考える会(仮)」の言いだしっぺのひとりである石川真生さんのブログでも、勉強会の模様が紹介されています。ご照覧あれ。