宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

批判的想像力

昨晩眠れず、夜中にケータイで共同通信のニュースを読んでいたら、

「沖縄の北部訓練場返還へ前進、日米ヘリ着陸帯着工で合意」

の見出し。まるで《訓練場返還》へポジティブに《前進》したかのよう。《ヘリ着陸帯着工が合意》された場所は、ヤンバルクイナノグチゲラの生息地であり、400メートルという近い距離に人々が住む集落もある。
《日米》には、そのような問題は見えず、見えたとしても、そこはオキナワなのだから瑣事である。
日米政府及び大多数の国民から見れば、なぜそれをそんなに大きく問題視するのか、不思議でしょうがない。中南部の都市部に集中した基地や、広大な面積を占有していた訓練場返還の一環として行なわれるのだから、オキナワの原住民の方々には喜んでもらいたい、もっとトータルでみると原住民のみなさまの利益にかなう…ぐらいに思っているのだが、原住民はハンタイの声と、選挙結果ではサンセイの声をあげるだけで、なにを考えているのかわからない。

政府決定を垂れ流すメディアは、わけのわからなさを増幅し、人々を操作する装置でしかない。

本日の琉球新報朝刊は、このニュースを一面トップで報じ、社会面で地元の反対や懸念の声を取り上げているが、沖縄のメディアが本土メディアと同じような装置にならないとは限らない。現段階では《事実》がそうはさせてないだけなのだろう。わけのわからなさを増幅することに関しては大同小異である場合が多々ある。
同じ紙面で、復帰の際の密約を裏付ける米国防総省の文書発見の記事。我部政明琉球大教授が米公文書館で確認した。このような《事実》がオキナワは軍事植民地であり続けていることを証明する。沖縄の人々は、そのような現実の中で、何を思い、何を選択するだろう。メディアは権力に対して批判的想像力を持って対しているだろうか。

Sinkou 1997年の名護市民投票から10年が経過する。オキナワをオキナワたらしめている日米両政府を非難するだけではすまないほど、沖縄で生きる私たちは選挙等を通じた意思決定を行ない今日に至っている。「民意」は反対派の排他独占的占有物ではない。

最近、仕事で行政の振興計画などの文書を読んでいる。それらに目を通していると、客観的事実の整理のようにみえることが、実は人々をそのように思い込ます(ないしは現実を恣意的に固定する)操作を行なっているのではないかと思えることがある。

批判的想像力と創造力が求められて久しい。

【参考記事】
「ヘリ着陸帯」着工合意 3ヶ所、7月にも琉球新報3月14日朝刊)
使途なく2億ドル負担 沖縄返還密約(同上)

沖縄の振興」(内閣府2006年)