宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

狭隘徒然

あまり個人的なことを、カミングアウトする趣味は私にはない。しかし、人々の狭隘さと馬鹿げた下衆な言葉に、私に関わりのある他者が厭な思いをさせられるのは死ぬほど辛い。ので、今日は極私的告知を。

私は昨年、離婚をして、年明けに再婚した。
前妻とは三年前から離婚について話し合い、あらゆる意味で私たちが幸福になるために離婚を選択した。子どもたちの事柄を考えたが、二人がパートナーシップをとれなくなっても「子は鎹」みたいにして、関係を続けることは子どもに対しても失礼だと私たちは結論を出した。今なら、別れても子どもたちの父と母として、関係を良好に切り結んでいける。私たちはそう思った。前妻は、私が市長選挙に出たり公的活動を続けることが重荷であったと思う。私自身は、市民投票の民意実現だけを目的に他の選択肢を持ちきれないところにいた。どこかで大きく二人の歩む道が違い、見て感じ考えていく世界が相容れなくなっていた。
子どもたちには、前妻と私、それぞれが話して理解を求めた。みんなで大いに泣いた。私は昨年末から子どもたちと生活を共にはしていないが、子どもたちの親であり、養育の事柄についても親権等々の制度的問題は興味もないが責任をもつ立場であり続けている。前妻のことも、人間的にその強さも弱さも本当に信頼しているし、子どもたちと彼女のやさしいつきあい方は心から尊敬している。

年が明けて再婚した相手とは、二年前から付き合っていた。彼女の職場の上司と共に、政治的社会的事柄についてよく飲んで口論をした。男性社会の歪み や男性が無意識/意識的に持っている傲慢さを、理屈ではわかっていても、生き方として自分のものにできていないということを私はイヤというほど彼女に思い 知らされてきた。ちょうど前妻と離婚を前提に話している最中で、私は変わらなければならないときであった。私たちには、この春に子どもが産まれる。彼女は 「結婚」という形式を回避したがったが、経済的条件や諸々を勘案し話し合い、私たちは籍を一つにした。私自身の経済的問題も含めて、彼女には心労をかける が、私たちは共に話し合いお互いを理解するように努めて、これからの人生をパートナーシップをとりながら生きていこうとしている。

彼女の妊娠と、私の市議落選が、同時期に重なり、私たちは大いに悩み話し合った。
大人は、それぞれの選択をした責任がある。私たちはそれを引き受けて生きていく。
私は子どもたちを愛しているし、それぞれの大人たちも、制度的なつながりはなくなっても、人間的にお互いを信頼しあい、自身を自身で律しつつ歩んでいく。

過日、彼女や私の友人知人に写真家の石川真生さんが呼びかけてくれて、祝いの席をつくってくれた。素敵な女性たちが集まって、談論風発してとてもうれしかった。
その席で、数名の人から聞いた話というのを伝え聞いた。いろいろ心配してくれたり憤ってくれたりしている人がいるらしい。
私 は、いたいけな女性を孕ませて、シングルマザーにして捨てた男だったり、家族を捨てて逃げた男だったりしているらしい。笑えるけど、前妻や私のパートナー に失礼だから、これ以上、馬鹿げた風評が広がらないように祈る。これが子どもたちにまで悪影響を与えたらどうしようと、私は本当に心配している。
さらに、この地域の政治的アクターたちの中には、スキャンダルとして私を抹殺できると喜んでいる方々もいるらしい。それもお生憎様で、私はプライバシーを忖度される政治的アクターでありたい/なりたいと思ったことはない(だから落選するんだけどネ)。

このような噂話は、私が、この小さな街で生きていくのに、仕事や諸々の活動であまり地域との関わりを持たなかったり必要としていなかったりするので、打ち消す私の存在がみえずに野火のように広がる一方なのだろう。でも、最近、本当に思うのだが…

人生を共にする尊敬できるパートナーと、愛する子どもたち、気のおけない数人の友達と、信頼できる仕事仲間がいれば生きていける。本当に大切なものは、そんなに多くはない。私はそう思っている。

そんなこんなで、生まれ育った名護のゆったりとした田舎さ加減は大好きだったのだが、田舎さ加減の狭隘さに直面すると、本当にうんざりするのも現 実。子どもたちや前妻のことを考えても、できるだけ速やかにこの街を出ることが必要かもしれないと、思い始めてしまった。子どもたちの近くに居てあげた かったのだが、それは居たかったという私のエゴかもしれない。

さてさて、女性たちに失礼だから、つまらない噂話をしている人は、私たちに直接、話しを聞くようにしてくださいね。我が家では、女性をアプリオリに受身の存在とするこんな連中が、DVを蔓延させてるのじゃないかしらん、という話にまでなっている。