We have met
今朝の沖縄タイムスの時事漫評(砂川友弘)。自民党の復党問題を「抱腹絶倒」をシャレて「抱復絶党」としている。砂川氏のセンスはすばらしい。
こんな自民党でも国民多数は支持するんだろうな。日本は、不思議の国である。
というわけで、今日は朝からまじめに仕事しているのだが、「企画書」を二つ書くのに、煮詰まってしまって…と書こうしたが、どうもわたしが使い続けている「煮詰まる」の意味と、日本語の「煮詰まる」は決定的に違うということに最近気付いてしまった。
遅ればせながら辞書を検索すると「煮詰まる」とは
(2)十分に議論・相談などをして、結論が出る状態になる。
「計画が―・る」
であるわけだから、わたしの「企画書」はもうじきできあがる段階。
なんだぁ、良かったじゃない、…そんなわけはない(涙)。
わたし的用語の「煮詰まる」をなんと言い換えるかは、あとで考えるとして、とにかく進まないので気分転換にネットサーフィン(死語?)してたら、チャルマーズ・ジョンソン氏のインタビュー記事に遭遇した。
インタビューは、トム・エンゲルハート氏。とてもいい記事だったので少し紹介する。
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自らを「冷戦の戦士」であったと語るジョンソン氏は、ソ連が崩壊した1989年に、ベルリンの壁の崩壊以上に驚かした事実として
役割の終わったわが国のすべての基地といったものを全面的に正当化するために、米国が即座に―純然たる膝蓋反射反応として―代わりになる敵を探しはじめた
をあげています。
わ
たしは1992年に10年以上も生活していた東京を離れ沖縄に帰ってきましたが、そのときには「冷戦終了で沖縄も変わるかもしれない」とかすかな期待みた
いなものを持っていました。あさはかなわたしは、冷戦という「脅威」のために在沖米軍基地はあるのだと言われるままに信じていたのです。
ジョンソン氏は、
冷戦は、ほんとうはなにか別のものを隠すためのものだったのではないか? その別のなにかとは、第二次世界大戦のあいだに、大英帝国の後継者として意図的に創出されたアメリカ帝国であることを、これは意味しているのではないだろうか?
そのように考えだします。そうして1995年に当時の大田県知事に招待されて沖縄を始めて訪れます。
私 は生涯の大半、日本を研究して過ごしたにもかかわらず、その時まで沖縄に行ったことはありません。ハワイのカウアイ島よりも小さな島にアメリカの軍事基地 が32か所あり、島の住民たちに過大な重圧を押しつけていると知って、私は仰天しました。熱心な冷戦の戦士たる私の最初の反応は、沖縄は例外に違いない、 というものでした。これは世界の常識をはずれています。アメリカの報道機関はこれを伝えていません。これは軍事植民地です。
しかし、冷戦の戦士たるジョンソン氏はその後の研究で
研究をはじめてみると、沖縄が例外ではないことを知りました。これが標準でした。 私たちの帝国はどのような種類のものでしょうか? その構成単位は植民地ではなく、軍事基地なのです。 基地の帝国―これが、世界に700か所、またはそれ以上あると国防総省が認めている軍事基地の理屈を説明するのに最適な概念です。
このような軍事基地植民地を世界中に有することで成立している「軍事帝国」がアメリカなのです。そうして、沖縄に対する海兵隊のメンタリティは他の三軍とも違うものがあります。
海兵隊は、第二次世界大戦中の最も悲惨な最後の激戦で、損失をこうむったのだから、自分たちは沖縄に駐留して当然であると、今日にいたるまで信じています。 請け合っておきますが、第一海兵師団の将兵たちは、カリフォルニア州のオーシャンサイドに駐屯しているよりも、沖縄に駐留しているほうが、そうとういい暮らしができるのです。
帝国たるアメリカ本国よりも、軍事植民地・沖縄のほうがいい暮らしができる。それも彼らが沖縄を手放さない、大きな要因なのでしょう。
米軍再編で砲兵隊などの本土移転をへっぴり腰で雲散霧消させた日本政府・官僚・政治家たちも、軍事植民地・沖縄を差し出し続けるのでしょう。
植民地であることを拒否するわたしたちは、植民地に穿たれた「協力メカニズム」を脱構築すべく動き出さなければならない。
このインタビュー記事の中で、チャルマーズ・ジョンソン氏は、軍事帝国としてのアメリカの、軍産複合体の問題や「軍事ケインズ主義」について論じている。
漫画シリーズ“Pogo”の最も有名なセリフが、今日の話題になんとふさわしいことでしょう。それはこうです――「今日、敵に遭遇したが、それはぼくたちだった」
と締め括ります。氏の引用したPogoのセリフを英語で検索してみましたが、とても有名なセリフのようでした。
原語では“We have met the enemy and he is us.”です。
わたしたちは敵を認識できているだろうか。いろいろ考えます。
さて、遅い昼飯を食べてから、煮詰まっていない仕事に戻ろう。っと。