宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

二人の候補

061015_1607001 週末は、県知事選挙の候補者の討論等がタイムスや新報の紙面を飾った。

 以前紹介した某偏向新聞の記者ブログによると、糸数慶子さんが政策発表の席上で記者に問われ「安保は認めない」とか「基地ゼロを目指す」などと話していたらしい。そういうと、すぐさま理想論者だ、非現実的だとパブロフの犬のように噛み付く人びとがいるが、沖縄県知事候補は公選制の首相候補でもないからあんまり目くじらたてなさんなと思うのは私だけだろうか。
 くじらといえば、わたしはジュゴン保護の運動をしているものだから、「ジュゴンを食べた事がある」ということを、面白半分でいやがらせのように話しかけてくる名護市民もいる。わたしはピートゥも美味しくいただく一般的なナグンチュなので、ジュゴンを食べることにあまり抵抗感はない。逆に「みんなで食べれるほど増やそうじゃない」と話を盛り上げることにしている。
 
 新聞をみたかぎり二人の候補者の違いは明確だと思う。仲井間さんは、どう転んでも、V字滑走路を持つ辺野古への巨大基地建設に反対できない。わたしは岸本市長・稲嶺県知事が行ったすべてを評価するわけではないが、ある一定の条件をつけて日本政府に抵抗していた沖縄は、岸本市長の死去、稲嶺知事の引退で終わりを告げる。仲井間さんは稲嶺知事の後継者ではなく、額賀氏にV字を呑まされた現名護市長の後見人でしかない。のコンビで政府に対峙すると沖縄は確実に沈没する。

 糸数さんが、経済活性化で従来の振計等が「製造業を育てられなかった弱点」を指摘し内発的発展論を展開するのに対し、仲井間さんは「日本経済との競争で生き残った産業・企業」を持ち上げてみせる。通産官僚や競争で生き残ったわけではない独占企業沖縄電力会長を歴任した方が何をかいわんやである。「私なら企業誘致もたくさんできる」などの根拠不明の自信と自慢はどこから来るのか不思議である。高みから物言うイバヤーという噂は確かなんだろうなきっと。しかし「本島南北縦貫鉄道」などは「採算性がない」と経済界や保守陣営にバカにされたが、いまや仲井間さんが堂々と言ってのけてる。4年前の市長選挙で批判した名護の方々は仲井間さんに投票しないでね(笑)。
 経済政策以外(医療・福祉・財政等)を問われると仲井間さんは「オーソドック」とか「地道に進める」「着実にやるしかない」と官僚のようなことばを使う。振興計画についてはインフラ拡充のため延長を求めるなど、従来的発想の延長しかない。
 政府は、小泉政権を経て安倍政権になり、超タカ派政策目白押しである。沖縄の新聞を、米国を批判するアラブの新聞と似ていると臆面もない差別的オリエンタリズムで豪語するおばさんが安保に係る首相補佐官である。この時代の大変化の中で、沖縄だけが従来路線継続なわけがない。「沖縄力」というが、この人のどこに県民は期待したらいいのだろう。「沖縄力」とは基地被害に適当に抗議しつつ基地維持(強化拡大)政策に加担することで、政府資金をショボショボ引き寄せるチカラなのだろうか。ウチナンチュよ、ウチナーよ何処へ行く。

 新聞で発言を見比べるかぎり、糸数さんは、あまり日米安保の是非等の持論に入り込むより、沖縄の基地の現状と政府の態度への根底的批判精神を持ちつつ、具体的な産業経済政策や、そこに裏打ちされた福祉や環境、まちづくり政策に論点を絞るべきだろう。生活者は日米安保の是非で投票するわけではない。大田県政が中央政府にとってやっかいだったのは、「安保を認めるなら国民全体で」と相手の土俵できちんと主張したからだ。
 自力経済に自信のない多くの沖縄県民やそれを煽る勢力にとって、中央政府資金はライフラインのように思えてくる。県民は抵抗首長ではなく交渉首長を求める傾向が数年続いてきた。交渉首長たちは条件をつけて交渉してきたが、新しい名護市長は条件をかなぐり捨てて首根っこを抑えられた。現名護市長は交渉人(ネゴシェーター)ではない。今年、政府は沖縄に対する態度で大きく舵を切った。この情勢下で、政府に抵抗し交渉人になれる人間は、古い状況認識で継続する古い人ではなく、新しい状況認識で変革する新しい人だろう

 仲井真さんが発する「Ⅴ字案については認められないと言うしかない」とか「頭越し決定に抗議」するなどは、すでに賞味期限も切れた空疎なドゥチュイムニーでしかないのはすぐに露呈する。気をつけなければならないのは、賞味期限切れでも食べられる商品は案外多く、みんな食べている。それに、あんまり新聞は読まれていないという意見もあるしね(笑)。

琉球新報社のウェブページは比較的早く記事が消えるので、これからはリンクを貼らないことにします。