みやぎブログ

演劇・戯れ・政治

基地と振興策(上)

以下は、6月下旬から7月上旬に地元新聞紙上に掲載される予定だった原稿。
市議選に影響を与えるということで掲載が見送られた。
昨日今日の朝刊では、「県抜き」で協議会を立ち上げる記事が出ている。

基地と振興策(上)

    宮城康博(名護市議会議員)

 五月三十日に「在日米軍の兵力構成見直し等に関する政府の取組について」が閣議決定され、一九九九年の閣議決定は廃止された。
 一九九九年の閣議決定では、「1普天間飛行場代替施設について」と「2地域の振興について」は並列であり、沖縄政策協議会で承認された「北部振興」は直接的には普天間移設と結びついておらず、「移設先振興」は北部振興の財源から措置されることになっている。それらを根拠に私も、亡くなった岸本前名護市長も、北部振興と基地建設はリンクしていないと認識していた。今回の閣議決定により、これまで内閣府所管であった北部振興は消えた。防衛庁所管の基地建設がらみの地域振興が新しく始まることになるのだろうか。しかしことはそう単純ではない。
 北部振興については、九七年十一月の復帰二十五周年記念事業で橋本首相がその重要性に言及し、国土総合開発法に基づく第五次全国総合開発計画(九八年三月三十一日閣議決定)で「特に北部圏については、沖縄本島の一体的な発展を図る上でその果たす役割は大きく、地域特性を生かしつつ今後とも振興に向けて着実な取組を進める」と明記されている。基地建設問題と結びつけ、雲散霧消していい性質のものではない。防衛庁の手つきは粗雑極まりない。
 ここまで、防衛庁と協議を重ね、基本合意した北部の首長たちは、今回の閣議決定に憤りを表明しつつ北部振興の継続等を要請しているが、結果的に防衛庁に加担し北部振興と基地建設をリンクさせた責任は重い。

20060407001 剥き出しの「本音」

 名護市長宜野座村長が防衛庁長官と「基本合意」を交わした四月七日。防衛庁長官と共同記者会見に臨んだ北部の首長に記者から次の質問がなされた。
 「今の大臣、そして金武町長のお話をお伺いすると、完全に『その代わりに』ということで(基地建設と振興策は)リンクしているような感じですが」
 北部市町村会会長の東村長宮城茂氏は「この問題について、建前と本音を使い分けるような時代は過ぎた」とリンクを是認した上で「今回も当然、振興策の継続と、新たな振興策をお願いしているということには変わりない」と答えている。
 基地と振興策はリンクしないという「原則としての方針」(=建前)が見事に瓦解(がかい)し、振興策を欲する北部の本音が剥(む)き出しになった瞬間である。 
 政府は、基地建設事業の進捗(しんちょく)状況に応じた「再編交付金制度」を検討(本紙五月十五日夕刊)しており、さらに額賀長官の言う「メリハリのある施策」で、今後は基地所在自治体とそうでない自治体との「振興策」格差があからさまに露呈することになるであろう。これまで、政府が行う沖縄振興は、先の大戦、長期の米軍占領下の被害、その労苦に報いるものであった。それらが北部の首長たちと防衛庁により「建前」として雲散霧消させられ、原則がかなぐり捨てられた後の混乱が始まっている。新聞紙上では、識者が「奴隷」「植民地」「差別」など、激烈な言葉で現状を批判する。私たちは存在の耐え難い軽さと「惨めさ」に向き合っている。これが沖縄の「本音」なのだろうか。

基地維持装置「振興策」

 私たちは、基地(安保)維持装置としての「振興策」という現実を直視せざるを得ない。九五年の米兵による暴行事件以降、政府によるさまざまな振興事業(島田懇談会事業・北部振興事業等)が講じられてきた。事業のいくつかは、沖縄県を経由せず基地が所在する市町村と政府を直接結ぶ形になっている。政府は十年近くをかけて、基地所在市町村を直接コントロールする仕組みを作り上げてきたのである。これらが、今後の「協議会」への参加を拒否する沖縄県や、県の参加を求める名護市(北部)という、沖縄側の主張の齟齬(そご)や、防衛庁の一連の働きかけ(協議)が功を奏す結果を導き出した。
 九七年二月の大田県政の辺野古移設反対表明に、沖縄政策協議会の不開催というボイコットで答えた日本政府に対して、沖縄は「使用期限」「軍民共用(軍専用ではない)」という条件を付けて政府と協調する稲嶺県政を誕生させた。あれから八年を経て、中央政界には沖縄に心を寄せていた大物政治家も少なくなり、ナイフを突きつけホールドアップを迫るように、沖縄の条件放棄を求める強権的な政府がある。北部の首長たちは基地(安保)維持装置としての「振興策」を求め踊り、沖縄県は自らの条件も政府との協調路線もどちらも放棄するわけにいかず立ち往生する。政府・防衛庁によるオキナワの分断統治が始まっている。