宮城康博blog

沖縄・自治・徒然…Ten Thousand Light-Years from Home

地元考

 「本当に没入していたんだな」と思う。何もやる気がせず、どうしたものかと、自分に向き合うとき。
 時間は、おかまいなく流れていく。昨日、岸本建男市長の離任式。本日は、新市長就任式。いやおうなく、新市長と三月議会で向き合う。そのことについて、今から具体的にどうこう考えるわけではないが、テレビで眺める建男さんの痩せ方が痛々しかった。
 マスコミの世論調査や出口調査等をみると、東海岸地区で沿岸案容認・後継市長支持が多い。この現状をどう考えるべきなのだろう。人口の少ない東海岸地区の投票行動が、選挙や重要な意思決定に即座に大きく影響することはないが、「地元」と呼ばれる地域の人々の意思は大きな影響力を持つことになる。
 おそらく、今後も、新市長は「地元」の意思を優先し、県は「地元」である名護市の意思を優先し、という構造を継続するだろう。国もまた然りであるが、状況は少し変化している。地方公共団体としての市や県が反対しても、国は国の専権事項として行うような発言を繰り返している。市が反対しても、「地元」が容認するなら、その「地元」の理解を梃子に、物事は進捗し、市という地方公共団体も「地元」の意思を尊重し、加担していくという構図が生まれる。相変わらず大問題を小さな地域に押し付け、事が成されていくという構図だが、その信念や行動規範に何ら期待できない新市長の下では、さらに惨い形で「地元」が剥き出しにされていくような気がする。
Img43e3f0ffeee85 「地元」とはどこか?
 辺野古だけではないが、豊原や久志区のこれまでの行動を見る限り、辺野古が容認に大きく傾けば、反対を主張し影響力を行使するとは想像し難い。二見以北は、十区の会が動き出したが、時間との勝負でもある。宜野座村松田区はどう動き出すか。
 政府が公開している子どもの落書きのようなコンター図を見ても、明らかに宜野座村の松田も二見以北の安部も「地元」である。
 さらに、このような問題の意思決定を狭義の「地元」に還元することなく、市民が政治過程の中に登場するだろうか。そうして狭義の「地元」を変革し、「地域」として主体的に中央政府に向き合う場を創り出すことができるだろうか。
 
「地元」という言葉は、手垢にまみれ、多少かさぶたもついている。それでもまだヒリヒリする大部分を剥き出しにして、裸のまま寒風に晒されている。

 様々な問題をはらみながら、時間が大きく流れている。
 工事現場という闘争現場を招来することなく、市長選挙という現場で終焉させたく私は動いたが叶わなかった。選挙に敗れて肉体的にも精神的にも疲れ果てて何もする気がしないからといって、闘いが終わったわけではない。のた打ち回る元気が回復するのをじっと待っている。生きている人々の存在を身近に感じたく、空を凝視している。